2011.6.5 酒を考える No.4 米酒の歴史 昭和・戦後〜平成23年

参考 wikipedia:日本酒の歴史

昭和・戦後〜平成23年

戦禍により 国内酒造所は壊滅的打撃を受け 加えて杜氏や蔵人を失うなど人的被害も大きく
合わせて深刻な米不足により絶望的状況を迎えた しかし兵士の帰還により飲酒人口は増加の一途であった
暗い世相を反映して飲酒への欲求は高まるばかりで 需要に対する供給は追いつくことはなかった

間隙を縫って登場したのが 「メチル」「カストリ」「バクダン」などの闇酒であった
健康に対して悪いばかりでなく 命がけで飲酒に走る 刹那的状況に国民は置かれていたのである

再再度政府主導で作られる 増産酒・名前は三増酒

昭和24年(1949)酒類の配給制が解かれ 酒の販売は自由となった

同年 フランス・メル社製アロスパス式加水蒸留器が輸入され アルコールの不純物除去に成功すると
その年の仕込み分から 約200ヶ所の酒造場で三倍増醸酒の本格的生産が始まった

三倍増醸酒とは 醪(もろみ)を搾る前に 成製されると見込まれる清酒量に対し
予め 2倍量のアルコールに調味料を加えた調味アルコールを作り 醪に加えた後圧搾し
3倍量の成製酒を得る方法であった
添加物は ブドウ糖・水飴・乳酸・コハク酸・グルタミン酸ソーダー・無機塩類に限るとされた
後に この醸造用アルコールの添加は 焼酎・ウィスキー・ワインにも使われるようになっていった

戦禍から急遽復旧させた設備では 健全醗酵が出来ず腐造となることも多く発生して
供給不足を起こした背景もあり 監督官庁も率先してアルコール添加を促した
全国ほとんどの酒蔵で行われ もはや否を唱える者は皆無の状況となっていた
また 製造工程で 基準値以上のアルコール添加を行うことに 監督官庁が干渉することもなかった

昭和25年(1950)酒税が大幅に引き下げられ 闇酒を駆逐撲滅した

記憶の喪失

昭和30年代(1955)になると 米の増産が図られ 日本酒の醸造環境は好転し回復の機会が到来した

しかし余りにも長期に渡り 品質の優れた酒に出合うことがなかったことが「記憶の喪失」と言う形で現れ
良質の日本酒を製造しても見向きもされなくなっていた それに加え 日本酒とは三倍増酒で
「二日酔いする酒・悪酔いする酒」のイメージが 昭和初期以前の酒を知らない世代に固定し定着していた
日本酒を遠ざけ離れた世代は 洋酒やビールへと嗜好が流れていった

せっかくの好転機を迎えたが 敢えて良質の日本酒を醸造する酒蔵は ほぼ出なかったと言って良い

桶買い桶売り 地酒の壊滅

その背景には 形骸化しているにも関わらず食管制度に固執する政府と 制度堅持を主張する農家があり
原材料の米は未だ配給制で 配給量を酒蔵ごとに決められていた

酒は作れば作るほど売れる時代であったが 消費者自身がアルコール添加酒に慣れ親しんでいる状態では
手の込んだ酒には見向きもしなかった また 中小酒蔵は設備投資が出来ない状況であったため
アルコール添加酒の大量生産は大手メーカーに有利となり 小規模酒蔵は余剰米を抱えることになった

酒はビン詰め後に課税対象となるため 大手と中小酒蔵間で桶買い・桶売りと称する売買が成立し
大手メーカーは 桶買いした純米原酒をブレンドし アルコール添加して自社ブランドで販売した

中小酒蔵は 長年続いた自己ブランドを守るより 安定した桶売りに活路を見出した
そして地方からどんどん地酒が消えていった そういう時代であった

洋酒の認知

昭和35年(1960)酒類公定価格を撤廃し価格自由化を図った

昭和36年(1961)それまで増加していた米の消費量が 一転して減少傾向となった

昭和37年(1962)酒税法を大幅改正し ウィスキー・スピリッツ・リキュールが雑酒分類から分離独立
歳入に占める酒税の割合は 12%まで下がった

昭和39年(1964)「ワンカップ大関」が登場

昭和45年(1970)漸く酒造米の配給制度が撤廃された

消費低迷期始まる 乙類焼酎の増産

昭和46年(1971)ウィスキー及び全酒類の輸入が自由化 昭和47年(1972)ワインブームが到来

昭和48年(1973)日本酒の消費が減少へと転じる反面 焼酎の消費量が増加へと転じた

昭和48年(1973)本醸造酒(アルコール添加10%以下)が規定され発売開始したが
時すでに遅く 昭和49年(1974)オイルショック不況で 桶売りの中小メーカーの倒産が相次いだ
酒造所も生き残り策を懸命に模索し 乙類焼酎醸造にシフト化が進み 焼酎ブームが到来した

低アルコール化

昭和57年(1983)炭酸飲料サワー発売 チューハイ・ウィスキーハイがブームとなって
飲料の低アルコール化が加速され 水や炭酸割で飲むことを前提としない日本酒の低迷に拍車かかった

バブル景気は吟醸酒ブームを引き起こしたが 日本酒の消費好転に結びつくことなくバブル終焉を迎えた

淡麗辛口ブーム

遡って昭和47年(1973)月刊「酒」の編集長・佐々木久子が新潟「越乃寒梅」を雑誌で取り上げ
全国的にブームとなった それまで主流とされていた伏見や灘の酒が甘く
また味もくどくなっていた反動で 端麗辛口の新潟の酒に好感を覚えたのが原因である

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昭和62年(1987)には アサヒ・スーパードライが発売され きれが良いという表現が流行った
このブームは日本酒にも伝播して 淡麗辛口に切替える酒蔵が続出した

終戦直後まで 日本酒の腐造を無くす安全醸造が命題となっていた頃には
腐造した酒を審査で落とす目安として 鑑評会で色の付いた酒を減点するという時代が続いた
このため出品する酒蔵は 元々自然に色の付く酒を敢えて活性炭濾過し無色透明の酒にした
しかし濾過した酒は 色と同時に酒蔵特有の雑味や日本酒の芳香「コク」をも消し去ってしまう
しかし酒蔵にとっては 酒に味付けすることは当然な行為であり
抜けた味も香りも 後で添加することに抵抗はなく 端麗と言われる酒は容易に出来上がった
「・・水の如し」という名を冠した銘柄まで現れることになり
「良い酒はあっさり辛口 悪い酒は甘口くどい酒」という単純な図式が描かれるようになった

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月桂冠の利き酒用蛇の目ぐい呑
淡麗辛口と透明で澄んだ酒が流行し 何故か利き酒ようの蛇の目ぐい呑も流行った

くどさ・旨口・甘さ・コクの区別すら出来きず 酒について味覚熟達し得なかった消費者が
昔ながらの芳醇濃厚な酒より 口当たりが良いサラサラとした酒を 良い酒と信じて疑わない時代が続く
まだまだ味覚回帰までは遠いとされる事象であった

1990年代のバブル崩壊後 落ち着きを取り戻すかのように 地方米や独自酵母による醸造が始まり
個性が尊ばれる様に地酒ブームが起こった

平成4年(1992)日本酒級別制度撤廃 普通酒・特定名称酒など9種類に分別された

昭和15年制定の酒税法は 昭和28年に全面改正されて以降 一部改正・通達・付則・雑則の公布など
毎年のように変り 現段階では平成18年5月の改正を経 平成22年3月31日に最新改正法が施行された


戦前に4千場以上を数えた酒蔵も減少の一途をたどる 国税庁の資料によると企業数の推移は
実際の醸造元であるかは別として S58:2541 H1:2327 H5:2243 H10:2073で推移し
平成12年には2000軒を切っている
下表は国税庁統計による清酒醸造場数の推移 醸造酒全生産量の推移(単位KL)酒別生産量の推移である

H 15 H 16 H 17 H 18 H 19 H 20 H 21
酒蔵場数推移 1463 1424 1419 1381 1353 1329 1302
全醸造数 595.252 510.131 510.331 521.591 500.709 492.781 468.878
純米酒 51.931 53.962 56.170 54.717 54.062 52.439
純米吟醸酒 28.363 27.781 30.446 30.377 31.552 28.988
吟醸酒 27.756 25.505 26.535 22.197 22.836 19.341
本醸造酒 71.718 68.701 71.292 66.957 57.659 56.321

7年間で酒蔵は161軒減り 醸造量は21%の減産 純米酒・純米吟醸酒は微増または横這い
吟醸・本醸造も減産となっている

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