2007.5.5  地球ノ凸部ニツイテ考エル

日本語では 地球表面の凸部分を
「山=やま」・「岳・嶽=たき・たけ」・「峰=みね」・「丘・岡=おか」と言う
又 京都では「尾=お」と言う言い方もあり「水ノ尾」「栂ノ尾」など高地の地域名がある
他 山の張り出し部や尾根の端部を「鼻=はな」と言ったり「城=じょう」と言ったりもする
山頂の岩場を「ー=くら」 広い高地を「平=たいら・だいら」又は「台=たい・だい」とも言う
おおよその定義はあるようだが 地球表面の凸部に多くの呼称があり 誠にもってややこしい

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Wikipedia 国際宇宙ステーションから見た富士山

ここからは私自身の想像を含め勝手に定義してみたいと思う ひらがなと漢字を並べて見たが
ひらがなの読みは全てが訓読みとしてある このひらがなの読みが和語の発音と仮定し
漢字は それに文字の意味を当てはめたのであろうと思われる
なぜなら 漢字は中国から導入された「官用字」であり
日本人が言い交わしていたであろう言葉とは 異音であると私は考える

しかし「やま」も「たけ」も「みね」も全て古代より語られていた言葉とは言い難い
私には解らないが「や・ま」と言う発音が古く「や」と「ま」それぞれに意味があるのだと思う
その後山を「たけ」と呼ぶ人たちや「みね」と呼ぶ人たちが渡来したのでは無いだろうか

例えば「嶽・岳」と呼ぶ山は 奥深い険しい山が多いと定義する人たちがいるが
これは「嶽・岳」と呼ぶとき 他の地域と相対的に つまり現代の私たちが地図を見るように
ここが高いだとか ここが険しいだとか
一々判断をして「嶽や岳」と付けたわけでは無いと思うのである

ならばそういう地域に住む人たち 又は住まなければならない杣人達 例えば木地師や炭焼き・木こり
マタギのような狩猟族達が 山を「嶽や岳」と呼称していたのでは無いだろうかと考える

峰は「み」と「ね」が独立した言葉であるかも知れない 「お・ね」も同じだと思う
「みね」は「御根」とも書けるし これを「おね」とも読めるのである
「おね」が「尾根」だとすると 京都の「尾」と関係があるのだろうか
京都・山城盆地は「秦氏」が拓いた土地であり「秦氏」は渡来人である

多くの文化文明が渡来人によってもたらされたことは すでに私たちの知るところである
言葉も渡来人と共に 古代から流入し日本の「ことば」と混合し同化していったのも事実であろう

私たち現代人は 渡来人が全て現中国や朝鮮から渡ってきたと思っているが
地理的な判断はさておき 民族学的には 中国や朝鮮を経由してきた人たちで
もっと西域のペルシャやトルコ・アラブやユダヤといった人たちも多くいたのではないかと思っている
遠く西域から何世紀もかけて 民族的にも 文化的にも
混血を繰り返しながら東方の果てとなる日本に来たのだと私は考えたい

それ故 山の呼称もそれぞれの民族文化の呼称でもって呼んだとすれば 納得がいくのである

今地図上で「さん」と呼ばれるのは比較的新しい といっても仏教導入後と言う遠い昔であると思う
「・・山・・寺」と言う風に宗派の寺院は呼ばれるのである 山は近代になって国土地図を編纂するに
当たって「・・さん」と呼称するようにしたのではないかと疑っている

以前は 例えば「富士山」は「不二」の意味 つまり「二つとない」の意味を持つ山ではなかったか
「御嶽山」はあくまで「御嶽」であり 「大峰山」は「大峰」であったろう
山の意味を持つ言葉に 山をくっつける意味はない

九州においても 久住山は「くじう」であり「阿蘇山」は単に「あそ」と
地域を一括して呼ばれていたのではないだろうか

日々の暮らしにとって それぞれの山岳ピークに名前を付ける必要もないが
地図編纂ともなれば三角点の設置に合わせて そのピークに名前を付ける必要が生じたのであろうが
その呼び名自体 「山」や「岳」「峰」など統一性のないのも確かである

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