2006.7.15  阿る

おもねる【阿諛る・阿る】
他人のきげんを取って、気にいられようとする。追従(ついしょう)する。
へつらう。おべっかを使う。
(小学館国語大辞典より)
今はあまり使わない古い言葉である

大分県が東京にレストランスタイルの情報発信基地として
「坐来大分」をオープンしたことについて考える

img
Google Maps Street View

情報発信のため「アンテナショップ」を自治体が持つことは
バブル期の流行病のような「リゾート熱」に触発され こぞって都市部へ進出させたものであるが
ことごとく失敗に終わり 閉館もしくは閉店していったことは記憶に新しい
なぜか「それは田舎が都会に阿る」からである
一時期グリーンツーリズムも大いにもてはやされ これにも こぞって手を挙げた田舎団体が
今は鳴りを潜めていると言っても過言ではない これも「阿るさま」によるものである

以下は極端な例だが 似通った話は少なくない

ある田舎の自治会が「炭焼き」を計画して都会人を募集した たくさんの人達が訪れたが
客人の仕事は全て準備された薪にただ火を付けるだけだったらしい その後延々と地元の産物を食らい
地元の産直品を薦められる 言葉は悪いがこれでは「悪徳商法」と変らないのである
そして 人は二度とその田舎を訪れなくなる

田舎に住むと やはり「過疎化の波」がひたひたと押し寄せてくる感じがしないでもなく
「村おこし・町おこし」が論議されるわけであるが けっして「都会」に阿る必要はない
住民自らが 自信を持って暮らせる村や町にすることが第一であって
「村おこし」もまず住民が楽しくなくてはならない 楽しさの「おすそ分け」に徹することである
このことは「絶対的」なことであり 住民に奉仕のみを強要することは断じてあってはならないし
けっして心ある「都会人」は 「それ」を求めることはないと私は思う

話は「坐来大分」に戻る
今団塊世代の リタイヤ後の余暇に論議が集まり それをにらんでの「坐来大分」であろうかと思うが
なぜ 九州を一つにまとめたアンテナショップが出せないのか 久住山も大分・熊本両県が関係するし
歴史を見ても古代から現代に至るまで九州一円を舞台として語られるべきであろう

旅する側としては せっかく九州まで来たのだから九州一円を 廻ってみたいと思うであろう
しかし連泊すると 連日同じような健康的とは言えないような豪華な食事が出され
高額な宿代を請求されることとなる 希望するのは 低価格で「ヘルシー」な郷土料理をいただき
その分 宿泊代を「リーズナブル」に そして浮いたお金で博物館や美術館を巡るような
「カルチャー的アカデミック」な旅や 九州一円に点在する自炊湯治宿を基点とし
九州の「ダイナミック」な大自然をめぐる旅など
阿ることなく 胸をはって出来る情報発信を願うものである

 TOP