2006.8.8  盂蘭盆会

陰暦(旧暦)の7月15日は中国発祥の盂蘭盆会で 日本では推古帝606年に起源を持つ仏事である
3世紀−4世紀初頭の西晋朝の僧・竺法護が訳した『盂蘭盆経』や 後の東晋朝の『報恩奉盆経』などで
古代インドの修行僧「目連」が 餓鬼道に堕ちた亡き母への供養をしたという伝説に由来する
元は寺院で行う仏教行事であったが 唐代における「道教」の隆盛に伴い
道教の行事である三元のひとつ 中元節との融合が進み儀礼として流行した
簡単に表すと 映画で馴染みの「キョンシー」や仙人・お札・幽霊など 仏教が迷信とする教えが
道教で説かれることが多く 民間信仰と合体しやすい一面を持っている
一般に 盂蘭盆会を省略して単に「お盆」と呼ぶが 供物を載せる盆そのものが霊とされ
盂蘭盆と習合したともされ 現在でも祖霊を「ボンサマ」と呼ぶ地域がある
道教では 旧暦の七月を「鬼月」とする風習があり 7月朔日(ついたち)に地獄の蓋が開き
同15日の中元節に蓋が閉じるとされ 中華圏や日本を含む東アジアでは 現在でも中元節(盆)は
先祖崇拝の行事として盛大に祝われている
明治期の新暦移行後 西日本では8月15日に行う月遅れの盂蘭盆会を通常「お盆」と言い慣わす

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写真提供:広島県

8月は鎮魂の日々が続く 広島と長崎の原爆記念日 終戦記念日がそうである

昭和天皇が死去前年の1988年 靖国神社にA級戦犯が合祀(ごうし)されたことについて
「私はあれ以来参拝していない それが私の心だ」などと発言したメモが残されていることが分かった
A級戦犯合祀後に昭和天皇が靖国参拝をしなかったことをめぐっては
合祀当時の側近が昭和天皇が不快感を抱いていたと証言しており
今回のメモでその思いが裏付けられた

昭和天皇の「不快」の一因が A級戦犯14名の合祀であり
特に 日独伊三国同盟を推進し我国を対米開戦に導いた松岡外相の合祀だったことがうかがえる
メモは、天皇が闘病中の88年 最後の誕生日会見直後の天皇とのやりとりだった
昭和天皇は「何といっても大戦のことが一番いやな思い出」と答えた
本来は「つらい思い出」と答える予定だったが 天皇も先の戦争に於いては当事者であった為である
その頃 別の側近はこんなことを語っている
「政治家から先の大戦を正当化する趣旨の発言があると 陛下は苦々しい様子で英米の
外交官の名を挙げて『外国人ですら、私の気持ちをわかってくれているのに』と嘆いておられた」と
A級戦犯合祀は 自らのこうした戦争の「つらい思い出」と平和への「強い考え」を理解していない
行為であると天皇の憤りと不快感を呼んだことをメモは裏付けている

「(昭和天皇の)御(み)心を心として」と 即位の礼で誓った平成天皇も
即位後は一度も靖国神社には参拝していない
(以上新聞報道から抜粋)

なぜ日本がむやみに戦争に走ったのか それは誰の責任なのかは決して学校では教えてくれない
又「両親や祖父母も教えてはくれなかった」と言うか
「そこまで考えたことが無かった」のが本当であろう 只「馬鹿な戦争をしたものだ」と
一億総懺悔をし あとは「コロリ」と忘れたようである

半藤一利著 昭和史(1926-1945)は 鎮魂の月に一読の価値はある本である
特に文章も平易であり 中学生でも理解しやすく 今では誰も教えてはくれなかった歴史が解る

メモに残された昭和天皇の「心」も又理解できよう
「昭和史」のあとに 妹尾河童著「少年H」を読むことも良いだろう

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