2020.07.03 宗教を考える No.1

「宗教」という日本語は 幕末に外国との条約締結に際し 英語<Religion>の和訳が必要となって
今でいうところの「宗教一般」をさす言葉として造語されたものだが 1858年の日米修好通商条約では
最初「宗旨」や「宗法」の語があてられ和訳されたと伝わる
英語の<Religion>は ラテン語の<religio>が語源で 「再び」という意味の接頭辞<re>と
「結びつける」という意味の<ligare>を組み合わせた単語で 「再び結びつける」という意味を持ち
「神と人を再び結びつけること」と解釈されていた 日本では仏教における原理や真理を説く「宗」の
「教え」という意味を持たせたが 明治期には 既存する仏教の下位概念として広まり
キリスト教をイメージする言葉として受けとめられ 日本人の宗教感に大きな影響を及ぼしたとされる
その他 幕末から明治期の造語には 文化・文明・民族・思想・法律・経済・資本・階級・警察
哲学・理性・感性・意識・主観・客観・科学・物理・化学・分子・原子・質量・固体・時間・空間
理論・文学・電話・美術・喜劇・悲劇・社会主義・共産主義などがある
宗教の定義は感情や情念といった分野に入り それを説く社会学者や哲学者の数だけあると言われるが
信仰とそれに基づく礼拝や巡礼・出家などの行動 信者による組織 会堂(教会寺院)などが包括される
広辞苑による【宗教】(religion)の解釈は
「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する
信仰・行事。また、それらの連関的体系。帰依者は精神的共同社会(教団)を営む。
アニミズム・自然崇拝・トーテミズムなどの原始宗教、特定の民族が信仰する民族宗教、
世界的宗教すなわち仏教・キリスト教・イスラム教など、多種多様。
多くは教祖・経典・教義・典礼などを何らかの形でもつ。」とされ
同じく【信仰】(古くはシンゴウとも)は
「信じたっとぶこと。宗教活動の意識的側面をいい、神聖なもの(絶対者・神をも含む)に対する
畏怖からよりは、親和の情から生ずると考えられ、儀礼と相俟あいまって宗教の体系を構成し、
集団性および共通性を有する。」とあるが 仏教そのものは 唯一絶対神を奉ずる
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・日本神道などとは 一線を画す存在であるように思え
広辞苑の解釈には「はまらない」と考えている
私は 信仰と宗教は別物であると考え 自身の宗教観はあっても「無信仰」である
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義務教育では キリスト教・イスラム教・仏教を「世界三大宗教」として習う程度で深堀りはしない
これは 信仰の自由が基本的人権として憲法に明記されているためと思われる
世界の中では 特定の宗教を国是とする国家もあり 日本もまた明治時代から昭和20年までは
国家神道を国是とし 義務教育で日本神話を学ばせ 天皇を現人神として礼拝させてきたが
敗戦を契機に国民の多くが 無信仰・無宗教ではなく逆に 抵抗なく全ての神や仏に手を合わせることに
慣れてしまい 結果として信仰心が相対的に薄まったと言える 正月には神を選ばず神社に詣で
身内が死ねば仏に手を合わせ クリスマスやハロウインを祝い そのうち復活祭のイースターまで
祝うようになるかも知れない この国民性は歴史によって刻まれたものでグローバル的にも特異である
但し 全ての信仰と宗教に対し 敬愛と畏怖の念を持つことが出来る国民性もまた特異である

日本の古代神道は 唯一絶対神や経典・教祖もなく 自然信仰・祖霊信仰に基づく同族神や地神として
発展成立してきた 以来八百万の神々として民俗の形成に深く関わり 古代朝廷の祭祀にも影響を与えた
飛鳥時代には仏教が伝来し 古代宗教であった神道より優れた面が際立った 衆庶救済が本分である
行基などに代表される大乗仏教僧たちは 建築土木や医学的な知識に秀で 架橋や溜池の造成などを行い
薬草を栽培採取するなど科学的でもあった 神道も祝詞を行うなど 仏教・仏典・経などの影響を受けた 
後に聖典とされる『古事記』や『日本書紀』による日本神話の編纂も仏教伝来以降であった
奈良時代以降は 遣隋使や遣唐使を通じて 遠くペルシャのゾロアスター教やインドのヒンドゥー教
及び中国の道教などが伝わり 平安時代には 空海によって密教がもたらされると
朝廷や平安貴族の多くが密教に傾注した 空海の帰朝と同時に 最澄が朝廷の命により
多くの経典を持ち帰ったが 最澄は経典の収集を命じられたに過ぎず
空海のように密教の奥義を会得して帰朝した訳でもなかったため 帰国後 空海に師事して天台密教を
開基したが 持ち帰った経典の解読はされぬまま死去してしまった
後に 残された経典は天台僧によって解読が進められたが 経典の多くはサンスクリット語を表す梵字と
サンスクリット語の漢字音訳であったため その解読は困難を極め 解釈の違いにより宗派が派生した
浄土宗や浄土真宗などは それが因子となって生まれたものである
鎌倉時代には 臨済宗や曹洞宗などの「禅宗」がもたらされ 幕府の庇護を受けて武士階級に広まったが
民間では 神道やヒンドゥ教・道教・仏教が混交した 例えば民間信仰の厚い「七福神」では
恵比寿は民間の漂着神 大黒天はヒンドゥー教のシヴァ神 福禄寿は道教の神 毘沙門天は仏教の天部神
布袋は実在した仏僧 寿老人は道教の仙人 弁財天はヒンドゥー教の女神・サラスヴァティーである
また金毘羅は ヒンドゥー教のクンビーラでガンジス川に住むワニを神格化したものとされ
ガンジス川を擬人化した女神ガンガーのヴァーハナ(乗り物・守り神)となり 船乗りの守り神とされた
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香川県琴平町 讃岐 金刀比羅宮本社拝殿
歴史上 秀吉と徳川幕府のキリスト禁教・薩摩藩の浄土真宗禁教などの政策は存在したが
太古から江戸時代までを延べ ほぼ民の「信仰の自由」は安堵されており
明治維新までは 国是とする宗教が定められることはなく 庶民に対し信仰への強制は無かったに等しい
このように シルクロードの最東端となる日本には あらゆる宗教や神々が吹き溜まりのように集合し
それぞれが 民間信仰の形で混交して現在に至っている
そのほか 国家宗教が定められなかったもう一つの原因に織田信長の存在がある
作家・藤沢周平が信長ぎらいになった理由の一つとして挙げられる 伊勢長島の一向一揆衆の殺戮は
信長の恣意的な残虐性を表しているとされるが 現在の社会学・精神学説に照らし合わせれば
マインドコントロールされ集団ヒステリー状態のカルト集団に対する当時の処置としては
許容範囲とする説が 特にオーム真理教事件以降 歴史家の中で語られるようになった そもそも 
天下布武を掲げ中央集権国家を目指した信長による歴史上の功労は 第二次大戦後の憲法に明記された
政教分離の方針を貫き 支配権力の中に宗教団体を加えずその支配下に置こうとし
反対勢力を再起不能なまで殲滅したことは カルト集団であるオーム真理教を未だ壊滅できないという
現在の状況を見れば 決して安易に否定を出来るものでは無いことは確かである
天下布武に対し反対勢力となった比叡山や一向衆に対する攻撃のほかには その宗教・教義に対する
禁教や弾圧などの政策は取られることはなく あくまで政教分離を果たした信長の先見性をかいま見る
以降の政権は 江戸時代に至るまで一部の宗教に対する禁教政策がとられたものの
特定の宗教を国是とする方策はとられなかった 明治になって日本神道を国家が管理したが
諸外国との関係もあって 信教の自由は「一応」というべき状態ではあったが保証された
現憲法では 基本的人権としての信教の自由と 国家による宗教への庇護や介入を禁ずる政教分離が
明記されてはいるが 日本人の宗教観が特段薄いことから地方行政や自治会の宗教保護の動きに
異を唱える者は少なく 日本人の宗教に対する許容は 世界的に見ても薄く広いのが特長となった
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