幻灯機

手影絵
子供の頃の”Visual"(視覚的)な遊びと言えば 一番遠い記憶に幼き日の「手影絵」遊びが思い出される
障子に映る母親の手が 「犬」や「鳥」になったり 兎になったりするのを見ていた覚えがある
蝋燭の明かりに廻る「走馬燈」も覚えているし 自分で作ったような気もする
紙芝居
紙芝居は只では見ることが出来ない と言うか一番後ろで見ることは許される 只ではないと言っても
お金を払ってみるのではなく 菓子を買うのである 主に麦芽糖飴だった 水飴は割り箸と飴がセットで
飴が白くなるまでくるくる回してなめる べっこう飴(割り箸についた形込めの飴でべっこう細工のような
色をしていた)は なめながら綺麗に形を抜くともう一本もらえたりしたが 何時も紙芝居が終わるまで
綺麗に出来ないので 滅多にもう一本の飴にはありつけない
紙芝居で覚えているのは「鞍馬天狗」「蜘蛛の糸」「安寿と厨子王」「怪人20面相」などであったろうか
紙芝居もテレビの普及で完全に絶滅した 今は「教育紙芝居」として出版社が作っているようだ
幻灯機
小学生の頃の愛読書と言えば月刊雑誌「少年」だった 「鉄腕アトム」「鉄人28号」などの漫画も勿論だが
雑誌に掲載される広告にも目を奪われた Oゲージの鉄道模型 鉱石ラジオなど ブリキ製の幻灯機もその一つだ
さて幻灯機を手に入れたところで映写すべきフィルムが高くてなかなか買えずに父親の写真ネガを持ち出しては
映写して遊んだ覚えがあるが しかしすぐに飽きてしまって見向きもしなくなった
売りに出ていたフィルムも漫画と何ら変わりなく見栄えがしなかった つまり影絵的遊びの延長線上であった
日光写真
雑誌の付録や駄菓子屋などで売っていた ネガになる透明紙と印画紙がセットになっていて
太陽光で感光させて写し取るのだが 現像液もなくすぐに絵が消えてしまった その他新聞や雑誌の記事を
複写する謎の液体などが子供心をくすぐった
幻灯機
映画の時代
本格的な映像となると テレビが来る前までは映画が主な”Visual"なものと言える
一番近い映画館が「○○東映」であり子供連れでも歩いて行ける距離に映画館はあったので なぜか映画と言えば
「東映」であった チャンバラ映画全盛の頃で 三本立て大人で入場料五十円だったと思う
映画館と言っても思い起こせば元芝居小屋であったような気がする 花道は撤去してあったものの
東西の2階桟敷は欄干手摺りもあり映画を見るには少し不便な位置にある
館内では音のする食べ物は嫌われるので その頃売店でよく売れていたのは今も健在の「都こんぶ」である
そういう意味では「都こんぶ」の歴史は映画の歴史でもある 映画の記憶は多いがなぜか男優しか思い浮かばない
一癖も二癖もある男優に比べ 女優は子供の目には全て「綺麗な人」で個性を感じるまでは至っていないのかも
知れない 嵐寛寿郎の「鞍馬天狗」中村錦之助・東千代助の「笛吹童子」「紅孔雀」
片岡千恵蔵の「遠山の金さん」「名探偵多羅尾伴内」
市川歌右衛門の「旗本退屈男」月形竜之介の「水戸黄門」 大友柳太郎の「怪傑黒頭巾」などである
鞍馬天狗のある日 子供がいないことに気がついた母は舞台に上がり手に持った下駄で拍手している
私たちを見つけた その頃は主人公「正義の味方」の登場に 割れんばかりの拍手を送ったのである
テレビジョン
テレビの登場は衝撃的であった しかしブラウン管なるものの正体がさっぱり理解が出来なかった
最初は駅前に街頭テレビが出来てプロレスの力道山に これ又全員が拍手を送るのである
その後番組も少し増えて電気屋の店先に陣取り これ又わいわいがやがやとにぎやかに見るのである
近所にテレビを買った家があれば学校から帰るとすぐさま行って見せてもらうのだが
その頃の子供向けの番組は夕方までで四時頃から番組がなく
「テストパターン」が延々と映し出されるのであった
記憶にある番組はなんといっても「月光仮面」がいちばん鮮明である