Jeep

昭和30年代頃 警察や官庁の車と言えば「ジープ」であった 警察のパトカーは白く塗装されていた
昭和33年に 作詞・井田誠一 作曲・利根一郎の「白いジープのパトロール」という歌謡曲が作られ
歌手・曽根史郎により大ヒットとなり 同年 大映から石井竜一主演の同名映画が封切りされている
これにより一躍「ジープ」の名は国民の間に浸透し 「青少年あこがれの車」となった
<Jeep>の名は 現在も起源が判然としていないが もし一説である漫画「ポパイ」に登場する
想像上のタフな動物「ユージン・ザ・ジープ」<Eugene the Jeep>からとったものであれば楽しい
このように<Jeep>の名は自然発生的に生まれた 小型4輪クロカンの代表的な愛称であったが
大戦後にウィリス・オーバーランド社により商標登録されてしまった
その後製造メーカーの離散集合を経て 現在はクライスラー社の所有となっている

第二次大戦中の独軍によるポーランド侵攻において
F・ワーゲン社の小型4WD・キューベルワーゲン(右)
の活躍を米陸軍が注視 1940年 国内135社に対し
4WDの小型偵察車開発計画に応札することを緊急要請した
しかし極短期の開発期間と要求されるスペックが厳く
大手のGM・FD社も応札することは出来なかった
入札に応じ また最後まで残った自動車製造メーカーは
小型車を扱うアメリカン・バンタム社のみであった
同社は自動車設計師のカール・K・プロブストを招き
昼夜を問わぬ作業で開発を開始し 翌年には実戦投入
されている その開発スピードには驚愕する
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設計師のプロブストは 軍の開発要項を忠実に守ろうとしたが 小型軍用4WD車の剛性を保持する為に
軍の提示したスペック 自重1,275ポンド(約585kg)ではなく 自重1トン弱の現実的な車両開発を行った
基本的構造は エンジンに限らず小型車用の汎用部品を多用し開発期間の短縮を図るため
はしご型フレームを採用し 前後とも固定軸をリーフ・スプリングで懸架するリジッド・アクスルを備え
簡単にして 尚且つ堅牢な構造とし 水冷直列4気筒の小型エンジンを搭載 それに簡素な曲直線で構成される
オープンボディを載せたものであった この基本構造は以後の 第二次世界大戦型ジープに踏襲され続けた
詩作1号車は僅か2ヶ月足らずで完成され 1ヶ月に及ぶ米軍の過酷なテストにより その基本性能の高さが
証明された その後短期増産を目指すため 米軍は基本設計図を公開し 第2次試作車はA・バンタム社
ウィリス・オーバーランド社・フォード・モータース社の3社に改良を命じた 最終的に自重制限を
981kgまで緩和し 各社1500台の試作車が発注された 実戦にトライアル投入された各社ジープの中で
ウィリスMAが正式採用となり 後にジープの顔となるフロント形状は FD社によって製造された
「フォード・GP」が起源となった その後ウィリス・フォード2社により生産が続けられ大戦終結まで
膨大な数の<Jeep>が生産された 開発に携わったバンタム社には大型軍用車の生産が割り当てられた
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Jeepの構造

三菱・ジープ

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昭和25年(1950)米国は朝鮮戦争(1950年6月−1953年7月)に
必要な軍用ジープを安価に調達するため 日本でのノックダウン
生産を決定 政府間協議で財閥解体により三菱重工業から独立した
中日本重工業が契約する運びとなった これには前年に
W・オーバーランド社と倉敷レイヨンの共同出資により設立された
倉敷フレイザーモータースや 昭和25年にGHQの命令により
誕生した警察予備隊(自衛隊の前身)の意向も反映されている
昭和28年(1953)からCJ3A型(左)のノックダウン生産が始まった

昭和27年(1952)中日本重工業が新三菱重工と名称変更 昭和28年(1953)2月に第1号車を完成し
まず林野庁向けに54台(J1)続いて500台(J2)を保安隊(警察予備隊)に納入した
昭和28年(1953)7月 ウイリス・オーバーランド輸出会社と四輪駆動車に関するライセンス生産
および販売契約が締結され 同年9月1日 正式に両国政府の認可が降り国産化が開始される
当時 ウイリス社ではジープの生産に関し9ヶ国にわたる各企業と
提携があったが いずれも下請契約であり 製造・販売権を共に
供与する契約が締結されたのは日本のみであった
ウイリス社では エンジンが「ハリケーン4」に切り替わっており
国産型式もこのエンジンを搭載した「CJ3B」となった
昭和30年(1955)国産化エンジン「JH4型」の量産が始まる
新三菱重工業での型式名は 民用「J3」軍用を「J4」と称した
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昭和28年(1953)から平成10年(1998)まで 通算で205,033台が生産された その形式は多く ソフトトップ車のショート・ミドル・ロングの各サイズがあり それぞれにガソリン・ディーゼル車が設定されていた その他ハードトップのミドル・ロングがあり 他にロングサイズのデリバリワゴンが生産されている
全型式は通算で53型式である 年間生産台数は昭和54年(1979)にピークを迎え 昭和57年(1982)の「パジェロ」(左)生産開始とともに生産台数が減少し 平成10年(1998)431台の生産計画をもって その歴史に幕を閉じた

中津市の とある場所に放置されている廃車ジープたち
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三菱・ジープ デリバリワゴン J37

三菱ジープ最終生産記念誌 Link:http://jp-jeeper.com/jeep/index2.html