2013.12.21 大分県別府市 別府散歩

年末の鉄輪温泉で湯治 別府市街をウォーキングする  旧別府市街地に隣接する旧別府港の埋立て地に建つ
「ゆめタウン別府」まで車で移動する 営業中は駐車料金無料である  しかし 駐車場を利用するなら
食事と買い物は「ゆめタウン」で それが義理というもの
img
ゆめタウン駐車場4階から別府湾大分方向の展望 右は高崎山
img
14:30 別府湾の虹
img
別府ジュニアヨットクラブのディンギーヨット
img
ゆめタウン裏の旧楠港 嘗て関西からの別府航路の船で賑わった 明治4年(1871)開港
img
係留中のプレジャーボート
imgimg
旧楠港 波止場神社
別府築港之碑 初代日田県知事松方正義揮毫
imgimg
元町 波止場神社参道
元町界隈
imgimg
元町界隈
JRガード下 別府駅市場
img
別府駅市場
imgimg
てんてんをてくてく歩こう! てんてくまちあるき
亀の井ホテル裏 不老泉通り

別府市中央公民館 旧別府市公会堂 昭和3年(1928)建設 大分県下最古の鉄筋RC造建築物
img
img
img
imgimgimg
img
imgimgimg
img
imgimg
回転式丸窓
保存物:戦時中空襲警報を鳴らしたサイレン
img
地階窓
imgimg
img
img
img
imgimg
別棟の洋館
敷地内に保存されている「千辛万苦之場」

史跡 千辛万苦之場
昭和43年1月29日市指定 別府市上田の湯6−37
元治元年(1864)9月徳川幕府は、長州征伐の戦をおこした。そのとき長州の藩論はニつに分かれ
井上馨は、温和な解決を主張した。そのため、御前会議の帰りみち山口城下袖解橋をすぎ
一本松にさしかかったとき反対派におそわれた。しかし危くも一命をとりとめた。
翌慶応元年(1865)馨は別府にのがれ、旅館若彦(のちの若松屋)に身をかくした。
若彦の主人彦七は事情を察し、手厚い保護を加えたためしばらくして全快した。
かれは、その後政界に身を投じ、47後の明治44年(1911)5月末、別府の若松屋旧屋を訪ね、
謝恩の意をこめて「千辛万苦之場」と扁額を書き、若松屋(松尾家)に贈った。
この建物は昭和57年12月18日移転復元されたものである。
別府市教育委員会

登録有形文化財(建造物) 医療法人野口記念会 野口病院管理棟
大正11年(1922)竣工 木造2階建 瓦葺 建築面積:563平方m
東側に尖塔屋根を軸とする左右対称のファサードを持ち 背面に2列の棟が伸びて中庭を囲む構成をとる
特徴のある外壁は グレーのモルタルによるスペイン壁の上部に白漆喰のハーフティンバーがのる
img
img
img
imgimg
img
img
img
登録有形文化財(建造物) 医療法人野口記念会 野口病院管理棟
別府駅前を散歩する
img
油屋熊八像 サンタバージョン
imgimg
海門禅寺
境内の「志ぐれ松」
img
昭和55年8月11日別府市指定天然記念物 海門寺のクロマツ
この海門護国禅寺の境内にあるクロマツは、同寺の庭園樹として管理され、寺とともに歴史を重ね、
別名「しぐれ松」ともいわれ、人々に親しまれています。
樹高約6m、胸高幹囲240cmで、樹冠は東5.6m、西10.2m、南3.0m、北13.0mの広がりを持っていて
支柱により支えられています。樹形が整い、樹姿も優れています。
クロマツは、もともと海岸近くの砂地や岩上に自生しますが、海門護国禅寺のものは植えられたもののようです。
しかし、当地が海岸近くにあって、生育地として適地であったことに加え、十分な管理がなされた結果、
名松とされるクロマツに成長したといわれています。
平成4年12月1日 別府市教育委員会
img
海門寺公園と鶴見岳
「浜田温泉史料館」
別府八湯・亀川温泉 旧浜田温泉館  昭和10年(1935)建築 入場無料
老朽化のため平成16年3月に解体された 別府市在住の個人の篤志家から 再建費用として
6500万円が市に寄付され 平成17年1月から復元工事が行われ同7月に完成した
img
imgimg
img
旧浜田温泉館
TOP