湯治宿のススメ

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歌川広重 東海道五拾三次之内 箱根

天下泰平の江戸時代になると 参勤交代制の円滑な実施の為 街道・宿場の整備は幕府の重要な政策となり
特に江戸中期以降は治安維持も図られ 漸く庶民も諸国間の行き来が出きるようになった
とはいえ 旅は 難儀を伴うことに変わりなく 他国で行き倒れになることも少なくなかった
宿場には 夕食を出す旅籠があり 一泊200〜300文(3000〜5000円)程度が一般的な宿賃であった
旅籠には 寝食のみを提供する平旅籠と 飯盛女による売春等の遊興的要素を持つ 飯盛旅籠(食売旅籠)があり
その他 食材持ち込みで自炊し 煮炊きをする為の薪代程度で宿泊できる事から 木賃宿と呼ばれる旅籠が存在し
後世には 単に粗末な宿を指す言葉として定着した 他方 温泉地に於いては 素泊まり(木賃)が基本で
食材持ち込み 連泊滞在が法で定められいた これは湯治宿の基本形態として現在も続いている
江戸時代の後期 十返舎一九の著作「東海道中膝栗毛」が刊行された文化2年(1805)に
小田原宿の一夜湯治に反対する旅籠と これを薦めようとする箱根湯本温泉場が 幕府・道中奉行へ
それぞれ訴願したことに端を発する論争に 決着をつけたのは 同年12月の道中奉行石川左近による
「一夜湯治苦しからず」との 箱根湯本側の誓願を認可する沙汰であった
以来 温泉場の一夜湯治が公に認められるようになった この一夜湯治は 箱根湯本を始めとする
箱根七湯の湯治場に定着し 全国へと波及した「1泊2食」の新しい宿泊形態であった
江戸幕府が 伝馬役(税金)と引き換えに 湯治宿においても1泊の宿泊を認める触れを全国へ出してからは
貧しい農家から売られた飯盛女(湯女)が雇われ 温泉街の歓楽街化・男性天国化が始まった
昭和時代 第二次世界大戦後の法人接待需要と それに続く高度経済成長期を経て いよいよ
遊興歓楽街化及び男性天国化に拍車がかかり 性風俗を売りとする温泉地や温泉旅館が 当然の事となった
しかし 一泊二食制による囲い込みと歓楽街化は 時の流れや変化から取り残され やがて終焉を迎える

第二次世界大戦後に生まれた団塊の世代が 就職期を迎える昭和42年(1967)に 男女同一賃金に関する
「ILO・100号条約」が 政府により批准された後は 飛躍的に女性の賃金が向上した そして
大阪万博が開催された昭和45年(1970)に 行動的女性を風貌する雑誌「アンアン」が発刊され
翌年には同様の「ノンノ」も発刊 雑誌には「旅」が多く特集され ガイドブック的要素が強まって
雑誌片手に旅行をする「アン・ノン族」といわれる 女性の個人や小グループによる ファッショナブルな
旅行スタイルが現出して 歓楽街化した温泉地が敬遠されるようになる すると女性客の取込みに
豪華な 料理を売りとする旅館が現れ 経済の高度成長にあわせ 宿泊料金の高価格化が進み
昭和60年代の温泉ブームを経て バブル期に頂点に達する
一方でバブル景気は 海外への渡航客を増幅させ 交通宿泊を含む国内旅行費用の相対的割高観を
国民に印象づける結果を与えた こうして国内旅行は激減し なおかつ バブルが弾けた後は
海外及び国内旅行ともに 「遠・長」から「近・短」に大きくシフトされ 旅行氷河期を迎える

平成7年には 国の諮問機関である観光政策審議会の答申で「国内旅行は大規模なシステム変更が必要」であり
具体的政策としては「低価格化と価格・サービス体系の多様化による 国内旅行システムの変革」を行うことが
急務であり なかには「泊食分離や料理の選択制の導入 宿泊施設の料金サービスの多様化明瞭化等を図る」と
報告されている 国土交通省が旗振り役となって 「泊食分離」が 規模が小さいながらも進められているのは
これまで旅館の 一泊二食制と大規模化による団体客の囲い込み方式が 現在に於ける 個人旅行を主体とする
消費者ニーズに合わなくなり 温泉街が急激的に寂れているためである ここで言う「泊食分離」とは
素泊まりを指すことではなく あくまで料金体系を分離明瞭化することと 室料と食事を別料金体系として
選択肢を広げて行こうとする試みである また 利用者側の不透明感を増長する料金制度としてあげられるのは
 人事の不都合な年末年始はともかく 休日前夜やゴールデンウィークに 宿泊料が高くなる料金制度である
通常より手厚いサービスが受けられなくなる可能性が 最も高い繁忙期にあえて一気に稼ごうとする
サービス精神の希薄な拝金的魂胆が丸見えなのである しかしながら「泊食分離」により 素泊まりという客が
増えることで売り上げが落ちる事や 一泊二食のために抱えている料理人や配膳係りといった人員の
人件費捻出という旅館側の事情もまだまだ存在し 新しい「泊食分離」制度が普及する段階ではない
また「連泊や滞在湯治」したいと思っても 連日の「盆と正月が一緒に来たようなハレ料理」には
早晩「うんざり」もするし量も多すぎる 全国津々浦々・宿の定番料理となった「天ぷら・刺身」などではなく
素朴な郷土料理も食べてみたいという客や 他には和食に慣れない外国人や所用で遅い時間に到着する客などは
寝食分離のホテルやその他の宿泊施設に泊まることとなり ますます宿泊客が減少していくのである

日本には 昔から独自の宿泊や宴席のシステムがある 遊郭街吉原では食泊は分離されており
赤坂の料亭も席貸しが本業で 食事は別途仕出し屋からとるのが基本である 京都の老舗旅館も同じように
素泊まりが基本であり 料理は仕出し屋から弁当形式で取るのが当たり前の事だった
多くの旅館の 宿泊約款のなかに「食品衛生法により飲食物の持ち込みは禁止します」という文言がある
素泊まりで 食事をする店が閉まっていたり 時間が遅いとき 飲食物を持ち込むのにとまどう事もある
四国のこんぴら温泉に投宿したとき 到着時間が午後6時だというのに門前町の店は全て閉じられ 名物の
讃岐うどんを食い損ねてしまった経験がある 近くに辛うじて「ほか弁屋」があったので 買って持ち込んだ
これも厳密に言えば約款違反であるが咎められなかった 意外なことだが 国が定める法律や条文には
このような持ち込みを禁止する項目は一切なく 現実的には旅館側の予防線が見え隠れする
「食品衛生法や公衆衛生法できめ細かく決められ 食品食材の保管・扱い 厨房や調理器具の厳守事項などを守り
細心の注意で調理しているのにも関わらず 客が勝手に持ち込む飲食物で 食中毒が発生した場合などは
旅館としては甚だ迷惑な行為となる」 そのため飲食物の持ち込みを禁止しておこうというのが本音であろう
一般的に素泊まり契約では 自室での飲食は可能である 自炊湯治宿(1泊2000〜4500円程度)では
食材を持ち込み自分で料理する すなわち過去に於ける「木賃宿」の形態である
蒲団の上げ下ろしや部屋の掃除も客がする 退出するときは次に来る人のために整頓に心がける
遊興目的で来るのではない湯治客だからこそ そのことに決して文句はつけないのである

この先も 旅館経営の先行き不安から 廃業する旅館が増え古い温泉街は寂れる一方であろう
しかし述べてきたように 新しいニーズやスタイルに対しては 供給量が少なすぎるという矛盾がある
廃業する旅館が もったいないと思うのは私だけではない 今一度サービスや施設などを見直し
私たちの要求にこたえてくれる宿泊施設が 少しでも増えてくれることを望むものである
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