2017.04.09 お花見散歩道

三隈川河畔を中心に石井里山公園までぐるっと回って 距離おおよそ約8km・2時間30分の散歩道

「日田天領水の里・元気の駅」に車を停めて 桜の名所・鏡坂公園から石井里山公園まで歩く
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日田天領水・元気の駅
森春樹建立の鏡坂歌碑

鏡坂公園
『豊後風土記」によれば 「むかし景行天皇が熊襲を討ち 後の凱旋のおり 筑後の国生葉(浮羽)の
仮宮を発って日田の郡に入ると この土地の神である久津媛が人となって迎えた 天皇は郡の西にある坂を登り
国見をして『この国の姿は鏡の面に似たるかな』と言われた よってこの坂を『鏡坂』という」と伝わる
盆地の南限に位置するここ上野台地の端は 日田の三大眺望のーつに挙げられ国見の地にふさわしい所である
鏡坂歌碑
日田盆地南端の上野台地・鏡坂から国見するかのように佇む石碑は 享和2年(1802)1月に森春樹が
自費で 建立したものである  春樹はこの地の意義が忘れられるのをおそれ 由来を述べ歌一首を詠んで碑とした
漢文で「須米羅岐乃伊牟岐多々志々古乃佐加現 加久留加我美乃那古曽久智世祢」と刻まれており
かな読みでは「すめらぎの いむきたたしく このさかに かくるかがみの なこそくちせね」となる
石碑の書は 清国漸江省杭州の蒋重耀である
森春樹は 紺屋町の豪商鍋屋伊左衛門の嫡男として生まれ 幼名は善次郎 後に平九郎と名のったが
文人としては春樹の名が最も知られている  豊後の竹田に森家の出店があり 商売の関係で竹田に赴き
「田能村竹田」と親交を結んだ  寛政9年(1797)27才の時に豊後国志の編纂をすすめていた
岡藩の医師・儒唐橋世済(からはしせいさい)の 求めに応じて「日田郡志」および「玖珠郡志」を書いた
石碑建立の翌享和3年(1803)に33才で家督を相続し 三代目・鍋屋伊右衛門と名を改めた 
後の世に 広瀬淡窓によって「多材多芸の人」と云われ 日田を代表する文人のひとりであるが
家業は不得意で趣味や学芸への浪費が祟り 文化4年(1807)森家により家督が剥奪され隠居身分に処せられた
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園内の散策路は延べにして840mある
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鏡坂公園から石井里山公園へ
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護願寺表参道 亨保元年(1716)に開設
バイパス工事の発掘で古代鉄剣が発見された
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日田市石井町211の茅葺民家
標示の意味が不明
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境内の桜
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石井大明神社への道
石井大明神鳥居と石橋
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石井大明神社 祭神は古代の日田の国造・鳥羽の宿禰(すくね)
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串川
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里山公園に登る「公民館坂」
里山公園の桜
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花韮(ハナニラ)の群生
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最上部の石井里山公園山荘(カフェ里山)広場 駐車場も最上部にある
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石井里山公園は 平成15年に杉の伐採後放置され荒れ果てていた山を入手し公園の造成を始めた
公園からは 日田市を中心とする耶馬日田英彦山国定公園の ほぼ全貌が鳥瞰でき
桜の木も大きくなって 多くの人たちが訪れる日田市の主要な桜スポットとなった

石井里山公園から再び三隈川沿いに「元気の駅」まで戻る
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左官・古後紀晶会館
全国の左官屋さんが訪れるそうである
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ガランドヤ古墳
三隈橋から里山公園
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三隈中学校の桜

三隈川公園
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三隈堰と旅館街
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国土交通省筑後川河川工事事務所 別称:三隈川交流センター朝霧の館
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三隈川公園で一番姿の良いと思っている桜

中ノ島桜並木と中之島公園
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日田天領水工場横の桜並木
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中之島公園の桜
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かんぽの宿 日田
日田天領水横
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三隈川の「菜の花」
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