月出山岳と書いて「かんとうだけ」と読む 平成8年(1996)3月の「日本異様難読山名コンテスト」において
三位を獲得した 因みに同コンテストで一位になったのは 同じく日田市有田の一尺八寸山(みおうやま)
二位は北海道留夜別村(るよべつむら)の爺爺岳(ちゃちゃだけ)である
日田市には 難読山だけではなく 三春原(うらせばる)刃連町(ゆきいまち)など難読地名もある
近年 月出山岳山頂が公園となって「スカイパーク」と命名されて 山頂までの道がコンクリート舗装された
但し 森林作業道となっているため地元作業車以外の一般車両は進入禁止となっている
山頂には 願いを叶える「天空の鐘」が設置されている
「鐘」あるところ全てが「恋人の聖地」となっている今日 ここも恋愛カップルで賑わうことになるのだろうか
<現地案内掲示板>
月出山岳の概要
日田市の東部に位置し、三つの頂きからなり市街地から見ると山容が整っていることから
「日田富士」と呼ばれている。山容は東西に細長く、西から東に、一番坊主(日田市・678m)、
二番坊主(日田市と玖珠町との境界点・690m)、三番坊主(玖珠町・708m)の峰が連なっており、
日田市を代表する秀峰である。山頂には「古い塔」や「舟つなぎ石」「龍殿岩」があり、
東の麓には「犬吠岩」がある。古代には九州を横断する「狼煙台」が置かれていたという言い伝えがある。
また、この地域は、風光明媚なところから1950年に「耶馬日田英彦山国定公園」に指定されている。
月出山(かんとう)の由来
三世紀の終わりから四世紀の始めにかけて、大和朝廷による国家統一の機運の中で、時の帝である景行天皇は、
九州の最大勢力であった熊襲を平定し、九州各地を巡幸された。「豊後国風土記」によると、
天皇は八女の県から前津江の権現岳をこえて浮羽に行き、この行宮から日田においでになった。
月出町に残る言い伝えによると、この時、天皇は東に三つの頂きからなる山から出ている満月を見て、
「げに素晴らしき眺めかな」と誉められ、「あの山は、なんとう言う山か」と問われたところ、
日田郡を納めていた説明役の久津姫は「あの山の方向はいずこか」と問われたものと勘違いをして
「関東(かんとう)です」と答えたと言う。これ以降「月出山」と書いて「かんとう」と呼ばれたという。
この呼び名は、「日本異様難読山名コンテスト」で全国第三位に選ばれた。
また、 近くに同一位に選ばれた一尺八寸山(みおやま)がある。
日本全国難読山名サミット実行委員会
●
山容は 「日田富士」と呼ばれるように市内から見れば富士山のように整っている
しかし 実際には東西に細長くそれぞれのピークを西から東へ「一番坊主」「二番坊主」「三番坊主」と数える
これは 標高の高さ順ではなく市街地に近い順番となっている
標高の最高点は三番坊主で三角点も三番坊主にある
各標高はスカイパークのある一番坊主が678m・二番坊主690m・三番坊主708.7mとなっている
日田の散歩道 2016.04.30 月出山岳・軽登山ウォーキング
1.月出山公民館駐車場 2.二番坊主 3.一番坊主 4.山番坊主
標高グラフ
月出山公民館駐車場のウォーキングマップ <画像クリックで拡大 PDFファイル 2.88MB>
月出山公民館駐車場 10:05
山頂まで2.3km 車両乗り入れ禁止
標高420mの眺め
集落内の急坂道
集落上部の簡易水道施設
竹林を過ぎると椎茸原木の櫟林
分岐 山頂まで1.6km 10:22
櫟の伐採地に出る
日田市街を遠望出来る 標高542m地点
パノラマ 万年山(はねやま)・湧蓋山(わいたさん)・鏡山の風力発電所
櫟の伐採地 この辺りも椎茸栽培が盛ん
山頂まで900m 標高590m 10:38
標高623m地点の八重桜
櫟の新緑が青空をバックに綺麗
山頂まで400m 標高655m 10:48
尾根筋に合流 山頂まで220m 10:52
二番坊主・一番坊主(山頂)を目指す
玖珠の伐株山(きりかぶやま)
電波発信施設
尾根の林道は一部未舗装
二番坊主山頂と境界石
標高690m 11:00
2013年の日本全国難読山名サミット記念
境界石の由来
当時の記録(日田郡東有田村)によると、明治22年の町村制施行の頃より、玖珠郡北山田村字朝見嶽集落と
日田郡東有田村字岩下集落とで、月出山嶽の原野二十町歩にわたり境界の紛争が起こり、
両集落とも相譲らず揉めにもめた。そのため、その草地は共に伐採することができず、牛馬の飼料はもとより
堆肥も作ることができず、両集落とも農作業に困難を伴い農家の損害も大きくなった。
そこで、東有田村の村長帆足悦蔵は、大正5年8月10日に北山田村の村長小畑範蔵と現地立会いを行い、
その後、更に三度の現地確認を行った。また、日田郡長の宇都宮喜六と玖珠郡長の山内忠一も共に現地確認を行った。
そこで村長帆足悦蔵は両集落に融和を促し、円満解決を図った。
ここに、境界の標石に日田郡と玖珠郡の境と東有田村と北山田村の境を刻み、調停者を明記し、紛争解決の証とした。
玖珠郡 長山内忠一 北山田村長 小畑範蔵 朝見嶽組長 魚返半平 同惣代 魚返茂市
大正六年(1917)十一月十五日 立會
日田郡 長宇都宮喜六 東有田村長 帆足悦蔵 月出山組長 穴井角朗 岩下組長 宿利光次
同総代 金崎恒蔵 同 財津末吉
月出山まちづくり委員会
当時の記録(日田郡東有田村)によると、明治22年の町村制施行の頃より、玖珠郡北山田村字朝見嶽集落と
日田郡東有田村字岩下集落とで、月出山嶽の原野二十町歩にわたり境界の紛争が起こり、
両集落とも相譲らず揉めにもめた。そのため、その草地は共に伐採することができず、牛馬の飼料はもとより
堆肥も作ることができず、両集落とも農作業に困難を伴い農家の損害も大きくなった。
そこで、東有田村の村長帆足悦蔵は、大正5年8月10日に北山田村の村長小畑範蔵と現地立会いを行い、
その後、更に三度の現地確認を行った。また、日田郡長の宇都宮喜六と玖珠郡長の山内忠一も共に現地確認を行った。
そこで村長帆足悦蔵は両集落に融和を促し、円満解決を図った。
ここに、境界の標石に日田郡と玖珠郡の境と東有田村と北山田村の境を刻み、調停者を明記し、紛争解決の証とした。
玖珠郡 長山内忠一 北山田村長 小畑範蔵 朝見嶽組長 魚返半平 同惣代 魚返茂市
大正六年(1917)十一月十五日 立會
日田郡 長宇都宮喜六 東有田村長 帆足悦蔵 月出山組長 穴井角朗 岩下組長 宿利光次
同総代 金崎恒蔵 同 財津末吉
月出山まちづくり委員会
二番坊主から一番坊主を見る
一番坊主へ
割とベタな名称ですが
一番坊主 11:07 名前の通り空は広い
一番坊主の標柱(サミット記念)
日田の定番「舟つなぎ石」
龍跡岩(掲示板では龍殿岩)
二十八宿遙拝所 <二十八宿とは→>
山頂の掲示パノラマ写真
天空の鐘 三回鳴らして空に願い事を
展望台
日田市街地遠望
万年山 湧蓋山 鏡山風力発電所
下山開始 11:35
玖珠の三番坊主へ
分岐は右へ
玖珠側は舗装無し
途中の三角点 入口にケルンあり
三番坊主山頂 11:55
老巧化で使用禁止の展望台
作業道を下って駐車場へ 12:38 到着