2006.09.20  小鹿田焼の里 皿山地区散歩

小鹿田焼(おんたやき)は 江戸時代中期の宝永2年(1705)(他説では元文2年<1737>)に
天領であった日田代官所により領内の生活雑器の需要を賄うために興されたもので 福岡藩(黒田藩)の
筑前小石原から招いた陶工の柳瀬三右衛門と彼を招聘した大鶴村の黒木十兵衛により始められたとされている
このため小鹿田焼は小石原焼と密接な関係にあり その技法は小石原焼の影響を強く受けている
小鹿田焼の窯元は代々弟子を取らず一子相伝を守り抜いているため 小石原から伝わった伝統技法が
よく保存されている 現在は10軒の窯元があるが 全てが開窯時から続く柳瀬・黒木・坂本家の子孫にあたる
朝鮮系登り窯を用い 飛び鉋・刷毛目・櫛描きなどの道具を用いて刻まれた幾何学的紋様を特徴としている
陶土を搗くため「唐臼(からうす)」と呼ばれる「鹿おどし」と同じ原理の「てこ」よって陶土を挽く
その音は「日本の音風景100選」の一つにも選ばれている
平成29年(2017)7月の豪雨により 44基ある唐臼の6割以上が稼働不能となり その唐臼の材料となる
松も入手困難となっている また 陶土に於いても前年の熊本地震による 彩土場が崩落した被害の
復旧工事が始まる直前に 大雨によって崖崩れを起こして工事再開の目処も立たなくなっており
その上 保存していた陶土の多くが流出するという壊滅的な被害を受けた
小鹿田焼の陶芸技法は 平成7年(1995)に国の重要無形文化財に指定されており
平成20年(2008)には 地区全体(約14ha)が「小鹿田焼の里」の名称で重要文化的景観として選定され
国の宝となった地域を存続させるため 国と県・自治体による一刻も早い復旧が待たれる
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水力を利用した陶土を砕く唐臼の音は 環境省選定 残したい「日本の音風景100選」に選ばれている
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焼成前に自然乾燥される
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登り窯の燃料は薪
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小石原村から招かれた柳瀬家の子孫が2軒 陶工招聘の黒木家の子孫が3軒
土地を提供した坂本家の子孫が4軒 黒木家の分家である小袋家が1軒ある
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一句 「夏逝きて 蝶の棺や 飛びかんな」 「飛びかんな」は小鹿田独自の文様
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土造りは女性の仕事
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出来上がった陶土の山と乾燥中の陶器
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焼成前の自然乾燥
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コンクリート塀に埋め込まれた陶器
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集落の中心にある登り窯は 近くの5軒が共同で使用する
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道祖神も大陸系です
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