グランドバー

田舎に越してから 外で酒を飲むということは壊滅状態だが
サラリーマン時代は 居酒屋・焼鳥屋・スナック等々の大衆的飲み屋ではあるがそれなりに通った覚えがある
社会人となってから成人式を迎えるまではおとなしく 定期券一枚で家と会社を生真面目に往復するのみでは
あったが 二十歳ともなると先輩に連れられ酒の味も覚える その頃通う本社工場は大阪梅田近辺にあり
朝の始業が午前8時と早いのだが なぜか午後4時10分で終業となる 飲みに繰り出すにはいささか早く思われ
ビヤガーデンなどは準備中の雰囲気であって 舞台上でハワイアンやフラダンスの練習などしていたりする
本番が始まる頃はもうすっかり出来上がってしまい まだまだ陽の高い内にご帰宅となる

酒を飲むのは ビヤガーデン・ビヤホール・居酒屋・お好み焼き屋・ショットバー等々だが
概して女気はなかった バーと言ってもホステスのいる高級バーではなく 昭和30年代に出現した
トリスバー・ニッカバーなどのように庶民的な店であった カウンターにバーテンダーが一人か二人というのが
普通で決して色気を売る場所ではなく ハイボールやカクテルを楽しみ飲む所であった 無論カラオケもない
カクテル
昭和40年代にはグランドバーが各地にできた 現在のようなホテルのラウンジ・バーではなく
カウンターバーが数カ所中央のフロアーを囲むようにあり 各カウンター内にバーテンダーがいて
カウンターに座りカクテルを飲み バンドの演奏に合わせて中央のフロアーでダンスをするのである
先輩世代としては独身でダンスが出来るのは 女性に持てる為の必修科目であったらしい
らしいというのは自分が踊れなかったこともあるが こういう風俗があっという間に消え去ったからである
ウィスキーメーカーの仕掛けもあり 昭和40年初頭を契機としてウィスキーの水割りが広まり
バーテンダーの必要性も薄れるに連れ店の個性も消滅した 勢いサービスとして「色気」を売ることに
シフトしていく そしてバーは風俗的スナック・パブにグランドバーはキャバレーへと変っていくのである
店に入り 席に着くと女性がぴったりと寄り添い 「水割りでいいですか」と聞く
「水割」は誰でも出来る訳である 社会の成熟とともに 今またカクテルが静かなブームとなっている
バー・テンダーを相手に世間話をしながら 静かな一時を過ごしてみては・・・・・・