小西儀助商店

大阪在住の一時期 会社が道修町(どしょうまち)にあった 道修町は昔から薬種問屋が集まる薬の町として有名で
塩野義・武田・藤沢・田辺・改源・小林・扶桑・小野と製薬の老舗がひしめいている
住民は勿論のこと町へ勤めるあらゆる職種の人までもが 気安く屋号のあとに「はん(さんの関西なまり)」をつけ
「塩野義はん」などと呼ぶのである 中でも武田製薬は「武長はん」と呼ばれ 初代近江屋長兵衛の名を取り
親しく呼ばれていた 町に「道修町の神農さん」と愛称される「少彦名神社」があり
毎年11月22・23日の両日は「神農祭」が盛大に斎行され 薬業界の祭に寄せる心は昔と変わることなく
祭日は各製薬会社もシャッターを下ろしていて その前にずらりと露天が並ぶのである
ビルに囲まれた決して広いとは言えない境内に多くの参詣客が押し寄せて賑やかであった

会社の斜め向かいに古い建物があり その頃の店名は「小西儀助商店」と言い「儀助はん」で呼ばれていた
現在でも有名な「接着剤ボンド」の老舗である 今は社名も「コニシ」となり社屋もほど近い場所に
ビルを建てているが 私のいた頃は江戸時代を抜け出てきたかの建物で 何時も仕事に使う
「瞬間接着剤アロン・アルファ」を買いに行かされるのだが 土間も帳場も古色蒼然としていて
テレビ番組の「番はんと丁稚どん」がそのまま出てきても 決して不思議ではない空間で
明治にタイムスリップした感があった

コニシ
旧小西儀助商店 明治36年建築(1903年)施工:竹中工務店

会社近くのうどん屋では 「ビ・はい・き」に「しま」と言って注文をして昼食を食べたのを覚えている
関西特有の短縮語の符丁で 「ビ」は「びっくり」のビであって「大盛りうどん=びっくりうどん」である
「はい」は「ハイカラうどん=天かすうどん」「き」は「きつねうどん」である
つまり普通に言えば「きつねうどんを大盛りにして 天かすも入れといて」である
最後の「しま」は「堂島」の島であり古い大阪の町では「米」のことを指す これも道修町近辺の符丁で
昔堂島に米倉や米会所があったので「めし」や「ライス」とは言わずに粋に「しま」と言ったのである

九州へ来て「ハイカラうどん」は「タヌキうどん」で「狐そば」を「タヌキ」と呼ぶことにとまどいを生じた