2016.10.21−26  雲仙地獄めぐりと散歩

「雲仙おさんぽマップ」片手に狭い雲仙の街を散歩する 歩いて東西に1.2km 南北に2kmの範囲である
温泉街の中心部に 邪見地獄・大叫喚地獄・お糸地獄・八万地獄・すずめ地獄・清七地獄・旧八万地獄がある
雲仙地獄の噴気の元は  橘湾海底のマグマ溜まりから発生する高温高圧のガスが 岩盤の裂目を通って上昇し
高温熱水となったものである  しかし 熱水は標高の高い雲仙の地表部まで達することが出来ず
沸騰によって生じたガスのみが吹き出し 地獄の噴気となっている
雲仙の温泉は この噴気ガスと地下水が混ざり合い生成されたものである
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雲仙温泉散策マップ 地獄附近地図 Link:雲仙温泉散策マップ全図<804KB>

南側の足湯広場から 泥火山・邪見地獄・大叫喚地獄・雲仙地獄・お糸地獄・八万地獄・温泉神社
原生沼・旧八万地獄・清七地獄・雀地獄・雲仙お山の情報館へ反時計回りに一周する
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足湯広場
足湯
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泥火山は火山の超ミニチュア版
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婆石と鏡石
生前に悪い行いをした者に、どのような苦しみを与えるか判断する簡魔大王が座る場所が「葬頭川の婆石」です。
鏡石は、亡者の善悪を見分けるのに使う道具です。閻魔大王も判断できない難題も、
この「浄玻璃の鏡石」に映せば一目瞭然、ただちに善悪が判定されるといわれています。

左の写真が「葬頭川の婆石」 右は「浄玻璃の鏡石」でどちらも地獄の入り口にあるものだが
「葬頭河婆(しょうづかばぁ)」とは 本来閻魔大王の座る場所とは関係なく
三途川(葬頭河)の渡し賃である六文銭を持たずにやってきた亡者の衣服を剥ぎ取る鬼婆のことである

邪見地獄
邪見というのは、人を妬む、醜い心の事です。この温泉のお湯を飲むと、夫婦や友達の間で生じた、
嫉妬心による不和を解消すると言われています。 ところが実際には強酸性の温泉で、
とても飲めるような物ではありません。きっと、邪見を捨てる場所という事なのでしょう。
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邪見地獄(手前)と大叫喚地獄

大叫喚地獄
大叫喚という名前は、噴気口から聞こえてくる低音(アー、オー)が地獄からの叫び声や喚き声のように
聞こえることに由来しています。この音はガラス瓶に口を当てて吹いた時にでる低音と同じ原理で、
噴気口を火山ガスが勢いよく通る際に発生します。
大叫喚地獄は、雲仙地獄に現在30あると言われる地獄の中で、最も活発に噴気を出しています。
墳気が活発な区域は長い年月をかけて西から東に移動していると言われており、ここより西にある
旧八万地獄(墳気が沈静化)やさらにその西にある原生沼(墳気が止まり植生が回復)と比べると
そのことがよく分かります。墳気の温度は、約120℃です。
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八万地獄展望台からの眺め
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真知子岩
昭和29年に映画「君の名は」のロケ地で俳優の佐田啓二と岸恵子が雲仙を訪れた
この岩は ヒロイン真知子が手を付いた岩で 以来「真知子岩」と名付けられた
「君の名は」は 脚本家・菊田一夫(1908−1973)の代表作で 昭和27年(1952)にラジオドラマ化され
「放送時間には銭湯が空になる」と言われるほど絶賛支持されたメロドラマである ドラマの冒頭で使われた
「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」という有名な言葉は
当時幼かった私でも 今も暗誦出来るほど記憶に残る文章である
2016年に全く違うストーリーで同名のアニメ映画が大ヒットしたため 若い人達は少々混乱するかも知れない

お糸地獄
その昔、島原城下で、たいへん裕福な生活をしていたのに密通をしたあげく、夫を殺してしまった
お糸という女がいました。お糸が処刑されたころにこの地獄が噴出したので、
「家庭を乱すと地獄に落ちるぞ」という戒めを込めてこの名前がつけられたと云われます。

掲示板は上記の説明 別の説明では「 この地獄は 明治時代になってから噴出した比較的新しい地獄である」と
書かれている どちらが正しいのか?
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今も活発に熱湯が湧き湯溜まりが出来ている
八万地獄
地獄という言葉は、現世に悪いことをすると、死後に苦しみの世界に落ちるという仏教の説話に基づくものです。
いつの世も、地獄を恐れる人々の心は変わらず、このような荒涼とした場所に
地獄のイメージを重ねてきたのでしょう。 八万地獄というのは、人が持っている八万四千の煩悩によって
なされた悪行の果てに落ちる地獄のことだと云われます。

明確に地獄の概念を持つのは仏教とイスラム教で 若干の違いがあるがキリスト教や北欧神話にも地獄が見られる
中国の儒教やユダヤ教には地獄や天国といった概念は存在しない
地獄は 元々古代インドの民間信仰である閻魔大王・牛頭・馬頭などの死後世界の思想が
中国に伝播し道教などと混交して仏教伝来と伴に日本に伝えられた
現在の中国では 道教は迷信として排斥されている
日本では地獄の概念は比較的新しいもので これが特に強調されるようになったのは平安時代末期に流行した
末法思想によるものとされる これにより浄土宗や浄土真宗が生まれ念仏による救済が説かれた
日本神道では「黄泉の国」とされ 神から怨霊まで死者を格付けしていくという概念が存在する
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温泉余土と湯の花 <写真左下>
温泉余土というのは、「地獄」地帯の安山岩が、高い地熱と温泉の強い酸性のため変質したものです。
酸の影響で脱色し、白灰色の粘土状になります。また、地獄の噴気口の周りには、白〜淡黄色の
湯の花も見られます。これは、墳気に含まれる硫化水素ガスと土に含まれる鉄やアルミニウムなどが
化学反応してできたものです。湯の花は、入浴剤としても利用されています。
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温泉神社(うんぜんじんじゃ)
嘗ての名は「四面宮」または「筑紫国魂神社」と呼ばれ 主祭神の速日別命(はやひわけのみこと)の他
配神として 白日別(しらひわけ)・豊日別(とよひわけ)・豊久土比泥別(とよくじひねわけ)
建日別(たけひわけ)の各命を祭神とする 白日別命・豊日別命・豊久土比泥別命・建日別命の4柱は
筑紫島(九州)にある四国(筑紫、豊、肥、熊曽)を現す神とされ そこから「四面宮」と称された
大正4年(1915)に現社名に改められた
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「だんきゅう風呂」の由来
「湯の里温泉共同浴場(だんきゅう風呂)」は雲仙でつくられた最初の共同浴場で、
昭和9年に、それまで在った湯の里川上流付近から、現在立地している所に移設されその折、
らっきょう漬けに使われていた五尺樽を譲り受け、上下二っ割にして、男女の風呂桶として利用しました。
この事から当時の住民の間で「らっきょう風呂」方言で「だんきゅう風呂」と呼ぶようになりました。
昭和34年長崎県知事より正式に「公衆浴場営業許可」を取得し、登録名称としては
「湯の里温泉共同浴場」としました。ちなみに、現在の浴場は「旧雲仙遊園会社」 廃業の折りに、
御影石造りの浴槽を譲り受け円淵の部分を利用して楕円形の浴槽としました。
また浴室の壁のタイルの絵は、「だんきゅう風呂」のシンボル花「らっきょうの花」です。

入湯料:200円 営業時間:9:00〜21:00 年中無休
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散策道に埋め込まれた案内
次は原生沼に行く

原生沼
絹笠山の東麓・雲仙温泉街の西側にあり 面積約1.2haの湿原で国の天然記念物に指定されている
九州では希少なミズゴケ湿原で 初夏のカキツバタを始めモウセンゴケ・ヨシ・ヤマドリゼンマイ
ツクシショウジョウバカマなどの湿原植物やミヤマキリシマ・レンゲツツジが群生している
原生沼の周りには遊歩道が整備されており 原生沼の正面には「原生沼かきつばた公園」がある
この原生沼も嘗ては活発な噴気活動をおこしていたが 時代とともに墳気が収まり老年期を過ぎた地獄地形に
水を湛えて湿地になったものと考えられている 湿地植物が繁茂し始めたのは約1000年前からと見られ
500年前頃から堆積が進み今の形となった 現在は土砂の流入により乾燥化がゆっくりと進行している
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遊歩道から見る原生沼
鬼石
古い雲仙の絵図面に鬼石の場所が記されており 温泉山(満明寺一乗院)縁起にも
「此ノ山ノ本主 歓羅ハ 四面ノ大鬼ナリ 行基菩薩ニ遇ヒ奉リ 種々ノ問答アリ 又 鬼アリ
男鬼ノ名ハ 空仙鬼 女鬼ノ名ハ 難林王ナリ 此ノ鬼々ヲ加持スレバ 即チ鬼石トナル」と記されている
石の形から 小浜町山領の鬼石は男鬼の「空仙鬼」 雲仙の鬼石は女鬼の「難林王」と思われる
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旧八万地獄の南西 遊歩道から少し外れた場所にあり 息を止めて一周すると願いが叶うと言われる
旧八万地獄(月面地獄)
50年ほど前までは活発な地熱活動が見られた 現在は岩の割れ目から60度くらいの温泉が湧き出てはいるが
噴気活動は ほぼ収束し殆ど見ることが出来ない そのためススキやマツなどの植物が徐々に侵入している
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湯神少彦名大神 御神体の大岩とその下に今も湧き出る温泉
古来から温泉は神からの授かりものとして大切にされてきました。
湯神は、温泉神(おんせんのかみ)のことを言い、温泉の優れた効果や効力を神様として祀った呼び名です。
日本各地の温泉場にはよく温泉神社があって、その多くは大己貴命(おおなむちのみこと)と
少彦名命(すくなひこなのみこと)の両神をお祀りしています。
少彦名命は、大国主神(=大己貴命)と相協力してともに国づくりをされたと言われています。
また、少彦名命は大己貴命とともに医療や薬事に公徳のある、医神・薬神(くすしのかみ)といわれており、
ここ旧八万地獄の源泉にも「湯神」としてまつられています。

清七地獄・賽の河原
豊臣秀吉、徳川家康らの統一権力の時代に、キリスト教を禁じる政策がとられ、キリシタン禁制と呼ばれました。
江戸幕府は、キリストの絵を人々に踏ませる「踏み絵」をさせて信者を見つけ出し、この雲仙で処刑しました。
キリシタンで長崎に住む清七という男が捕えられ、処刑されましたが、
そのころにこの地獄が噴出したといわれ、この名がつけられました。
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清七地獄
「賽の河原」の地蔵さん

雀地獄
このあたり一帯では、地下から噴き出したガスが水中ではじけて、ピチピチと小さな音をたてています。
丁度スズメがたくさん集まって鳴き騒いでいるような感じがするので、このような名前になりました。
おしゃべりをちょっとやめて、静かに温泉のつぶやきを聞いてみましょう。
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雲仙まちなか散歩
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雲仙お山の情報館
雲仙温泉観光協会
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昭和10年建設 外国人用・雲仙観光ホテル
紅葉始まる
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早朝の仁田峠遠望
小地獄温泉館

白雲の池
雲仙温泉の西方位置する標高870mの絹笠山々麓南西部にあり 面積約1ha程の古い人造貯水池で
池畔にキャンプ場があり貸しボートもある 絹笠山の南登山口でもある
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鴛鴦ノ池(おしどりのいけ) 別所ダム:昭和43年完成
雲仙温泉街の北側に位置する灌漑用のダムで、面積は25.3ヘクタールです。かつて、ここにはわずかですが
民家と水田がありましだが、今は湖底に沈んでいます。
一周できる自然歩道の中ほどには巨大な自然岩に彫られた磨崖仏の「大黒天」があります。
この像の作者や制作年代は不明ですが、雲仙が修験者の聖地として栄えていた頃の史跡だと云われています。
10月初旬からは、冬鳥のカモ類が渡ってきて湖面を賑わせます。種類はコガモ・マガモ・キンク口ハジロ
ホシハジロなどで、3月下旬頃まで観察できます。この池の名前となったオシドリは残念ながら、
ほとんど見られません。昆虫では、トンボが多数生息しており、6月頃から9月頃まで
ギンヤンマ・ネキトンボ・コノシメトンボ・アジアイトトンボなどが観察できます。
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