2010.03.27 大阪市天王寺区四天王寺1丁目 四天王寺南大門西橋

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"イラチ"の大阪人は「してんのうじ」とは言わない「てんのじさん」である だから地名は「四」抜けの
「天王寺(てんのうじ)」になってしまった 四天王寺は飛鳥寺と並ぶ仏教寺院としては最古のものである
寺の開基については『日本書紀』におおよそ次のように記されている
用明天皇2年(587)対立していた仏教派蘇我と神道排仏派物部の間に武力闘争が起きた
蘇我軍は物部氏の本拠地であった河内国渋河(布施市)へ攻め入ったが 物部守屋の防戦に苦戦を強いられた
蘇我軍の後方にいた厩戸皇子(聖徳太子14歳)は 白膠木(ぬるで)という木で四天王を彫って
四天王を安置するための 寺院建立を誓い戦勝を祈った その後物部守屋は曽我軍の矢に倒れ蘇我氏が
戦に勝ったのである 6年後の推古天皇元年(593) 厩戸皇子は摂津難波で四天王寺の建立を始めた
聖徳太子が創建に関わったと考えられるのは四天王寺と法隆寺のみでる 四天王寺の伽藍配置は
中門・塔・金堂・講堂を南から北へ一直線に配置する方式で 以後「四天王寺式伽藍配置」と呼ばれる
法隆寺の前身である「若草伽藍」もまた四天王寺式であった
国道25号線に面した南大門を入り 左手を見ると石橋が細い水路に架かっている 橋名は分らない
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橋と中門・五重塔
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欄干の形が可愛らしい
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