2011.03.29  大分県日田市城町(しろまち)1丁目  桂林荘公園の石橋

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江戸時代の幕府領(天領)日田の掛屋(*)・広瀬家の嫡男として生まれた
広瀬淡窓(1782〜1856)は儒学者で 文化4年(1807)に桂林荘塾舎を開設した
これを後の咸宜園へ発展させ 明治30年(1897)まで存続運営された
塾生は全国各地から集まり 入門者は延べ4000人を超える日本最大級の私塾であったが
基本的には時代遅れの儒学塾であり 緒方洪庵が開設した大阪の適塾(蘭学や英語塾)のような先進性はない
桂林荘塾舎跡地になるのが 現在の桂林荘公園である
(*)掛屋とは 天領日田の蔵物の売却・代金の収納・保管・送金等に当たり 蔵物の処理一切をまかない
幕府から資金援助をうけ 財政・金融面に勢力を振るい士分待遇をうけた商人のこと
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公園内の反り橋 欠けている部分で石造と判明
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東屋の石橋 整形切石 4箇所ある
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