2010.03.27  浪速の散歩道  くらしの今昔館

大阪天満宮境内から大阪くらしの今昔館へ その後 阪急天神橋筋六丁目駅から上新庄まで移動
東淀川区にある 珍しい瑞光寺の雪鯨橋を見て 阪急で地下鉄堺筋線を通り恵美須町へ
恵美須町からは 一度乗ってみたかった阪堺電車で住吉神社へと向かう
大阪天満宮 星合の池
大阪天満宮境内の北側に小さな池があり 星合橋という小さな橋や星合茶屋という名の茶店がある
江戸時代には この池の少し北にも「明星池」という池もあったが明治時代に無くなった
『摂津名所図会大成』によると その昔 天満宮に神様が鎮座した最初の夜に大きな松の樹が生え
その梢に明星が降臨して 星の光が池の水に光り輝いたということから「明星池」と名づけられたという
一方 星合池の由来は伝わっておらず 掲げられた由来書には明星池の伝説が短く紹介されているが
江戸時代には 既に二つの池が混同されていたので誤解が生じたものと思われる
星合とは 陰暦七月七日の夜に牽牛・織女の二つの星が出合うことで「季語」にもなっており
当時 星合池は七夕池とも呼ばれ 池の側には七夕の社がまつられていたというが 今は残っていない
このように 星合池の由来は不明なのだが 何らかの縁結びの由来が作用しているのは確かである
星合の池
天暦3年(949)に天満宮が御鎮座になった時、 この池水に霊光が映ったと伝承されている。
天正2年(1574)の石山軍記に「天満山の北、明星の池、星合の池の間、少し北に属し、織田信長本陣を布き」
と録しているから、少なくとも千年以上の歴史を持つ古池である。
なお、付近に七夕池、明星池、夫婦池等が明治年間まで現存していた事は昔「難波碕」の付近に残った
沼沢の名残であると思われる。昭和の初めまで池には「宇賀の社」があり、紅梅紫藤 が咲きみだれ、
付近には歌舞伎を常打とした天満八千代座、浪花節の国光席、吉本興業発祥となった天満花月吉川館などの
寄席が隣接していた歓楽街であり、極めてにぎやかであった。池に架かっている「星合橋」は
一名「愛嬌橋」とも言う。当時適齢者の「見合」が行なわれたからである。
また、池畔にあった白米稲荷に因んだ「いなりずし」は、参詣者に賞味され、有名であった。
大阪天満宮
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大阪天満宮の北鳥居と星合の橋
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星合の橋と祖霊社
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祖霊社神殿
天満宮の神官神職及び氏子崇敬者の祖霊を祀る 昭和57年建立
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大阪市北区天神橋一丁目 料亭相生楼 川端康成生誕(1899年)の地 生家は敷地の南端にあった
大阪くらしの今昔館
大阪くらしの今昔館は 天神橋筋商店街の北詰にある大阪市立住まい情報センタービルの8階から10階にある
暮らしと住まいをテーマにした博物館で 江戸時代から明治・大正・昭和の大阪の町と住まいの
移り変わりを再現している 特に9階の 江戸時代の天保期(1830年代)の町家と町並みを再現した
ミュージアムは 専門家による学術的考証のもと伝統的工法を用いて実物大で復元し
家具・調度を置いて当時の暮らしを再現している 木戸門を入ると大通りの両側には商家が並び
路地奥には裏長屋があり その間を自由に散策することが出来 その上 展示史料は原則として
自由に手にとって触れることができる また 音響と光によって朝・昼・晩の時間の変化も演出され
一日の変化を体験でき さらには 四季折々に変えられる座敷のしつらいを楽しむことができる
古典を演じる落語家が 当時の生活を体験するため訪れるほど精緻なものである
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大阪くらしの今昔館 天神橋6丁目「住まい情報センター」ビルの中に江戸時代の大阪がある
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絵草紙を商う商家の店先
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右は商家の裏庭 左が裏店の長屋
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四畳半の世帯者用の長屋
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水回りは流しと水瓶のみ 風呂なし共同トイレ
建物の片側に入り口が 裏に小さな庭がついた割長屋の標準的広さは 間口:九尺 奥行:二間の三坪六畳
土間が一畳半で居間は四畳半となる 家賃は月に400文から500文程度で現在の価格で1万円程度である
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間口:九尺 奥行:一間半の四畳半で居間は三畳しかない単身者用の長屋 外食が多いので竃も無い
このタイプは 建物の前後に部屋がある棟割長屋に多いタイプで家賃も安い
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大阪くらしの今昔館メインストリート
東淀川区瑞光 臨済宗妙心寺派 天然山 瑞光寺
聖徳太子が創建したと伝えられている古刹 建武年間(1334〜1336)に火災により消失したが
寛永20年(1643)天然和尚が指月寺として再興した 享保14年(1729)北禅和尚が
山号を天然山 寺院名を瑞光寺と改めた 1945年の大阪大空襲により焼失したが 1984年に再建された
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鯨橋で有名な瑞光寺の参道橋 国土地理院の空中写真では 1960年代まで池と思われるものが写っている
高度成長期になって 生活雑廃水により汚れた池を手っ取り早く埋めてしまうのは良くあることだ
山門も 鯨の胴骨が立てられている
雪鯨橋
長さ約6m 幅約3mの橋で 欄干は鯨骨で造られている 鯨の骨を使用して架けられている橋は
日本でもここ一箇所といわれ 世界的にも例がない 最初の橋は18世紀半ばに架けられた
宝暦6年(1756)に瑞光寺四代目住職・潭住知忍(たんじゅうちにん)が 南紀太地浦に行脚した際のこと
捕鯨を糧としていた太地の人々が 不漁続きのため困窮し 村の長が行脚僧の潭住に豊漁祈願を依頼したが
潭住は「仏に仕える身として殺生は好まぬ」として一度は断りを入れたが 余りある村人の困窮を見かねて
救済すべく豊漁祈願に応じることとなった 潭住の祈願により一転豊漁となり村の危機は回避された
後に村人が瑞光寺を訪れ 黄金30両と鯨の骨18本を寄進した 潭住が鯨供養のために
その骨を使って橋を造ったことが雪鯨橋の始まりとなった 古くは橋の全てを鯨の骨により造られていたが
天明(1780)の頃から石造橋となり 欄干のみ鯨骨を使ったものになった 欄干は老朽化により幾度となく
架け直されてきたが 1945年の大阪大空襲により焼失した その後29年間途絶えていたが
1974年に捕鯨地で雪鯨橋ゆかりの地である和歌山県太地町の協力を得て欄干を復興した
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境内にある弘済池に架かる石造アーチ橋
阪急電車京都線 上新庄駅 大阪在住の時は阪急に乗る機会はあまりなかった
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上新庄駅から地下鉄堺筋線恵美須町駅まで 相互乗り入れで直接行ける
阪堺電気軌道・阪堺線で住吉大社へ
阪堺電気軌道の歴史は古く 明治30年(1897)5月26日に設立された大阪馬車鉄道が 上町線および
後の大阪市電天王寺阿倍野線(1968年廃止)の起源となり 後 明治42年(1909)に南海鉄道と合併
電化工事が進められ 明治43年(1910)に天王寺−住吉神社前間にチンチン電車を走らせた
明治43年(1910)3月に設立された阪堺電気軌道株式会社が 現在の阪堺電気軌道阪堺線および
後の南海電気鉄道大浜支線の起源となった 明治44年(1911)12月に恵美須町−大小路間
翌年に大小路−浜寺駅前間が開通し 阪堺線の路線が全通した 大正4年(1915)6月 阪堺電気軌道と
南海鉄道が合併し 南海鉄道の阪堺線となった 昭和19年(1944)企業統合政策により
南海鉄道と関西急行鉄道が合併し 社名を近畿日本鉄道と改称したが
昭和22年(1947)再び旧南海鉄道の路線が分離され  南海電気鉄道が新たに発足した
昭和55年(1980)12月 阪堺電気軌道が設立され  阪堺線と上町線を分離して完全子会社化された
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恵美須町駅
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住吉大社西大鳥居 江戸時代前期造営 阪堺電車と南海本線住吉大社駅
摂津国一宮 住吉大社
元々は スミノエ神社またはスミノエ社と呼ばれ 住江・墨江・清江・須美乃江・須三與之・住吉などの
字が当てられたが 住吉が一般に多用されスミヨシ神社と呼ばれるようになった
大阪では 親しみを込めて「すみよっさん」(イントネーションの説明は難しいが)と呼ばれる
古代より浜に建つ社として 航海・海運の神として崇められ 全国に住吉神が勧請され広まった
祭神は 底筒男命(そこつつのおのみこと)中筒男命(なかつつのおのみこと)
表筒男命(うわつつのおのみこと)神功皇后の四柱で 四宮それぞれに一柱ごと祀られている
平安期以降は 和歌の神としても崇敬されるようになった
『日本書紀』による創建は 住吉三神が神功皇后の新羅征討において皇后に託宣を下し
その征討を成功に導いたとされ 皇后が大和への帰還中に かご坂皇子・忍熊皇子の反乱に遭遇し さらに
難波津へ向かうも船が進まなくなったため 務古水門(むこのみなと:兵庫県尼崎市の武庫川河口東岸)で
占うと住吉三神が三神の和魂を「大津渟中倉之長峡(おおつのぬなくらのながお)」に祀るように託宣を下した
そこで皇后が神の教えのままに三神の和魂を祀ると 無事海を渡れるようになったという
通説ではこの「大津渟中倉之長峡」が住吉大社の地に比定されている
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太鼓橋
架橋は古く鎌倉時代の『諸神事次第記』にも橋の記述が見える 現在の橋は 慶長年間(1596-1615)造営の
石造の脚・梁部分を利用して昭和56年(1981)に造営されたもので 高さは4.4メートルある
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参道には多くの石燈籠が建ち並び その数は約600基にも及ぶ 最古のものは寛永21年(1644)の銘があり
その多くは江戸時代の廻船業者からの奉納である
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国宝の 第一・第二・第三・第四本宮 <出展:wikipedia
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西側に紀州街道がある
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紀州街道の路面を走るラッピング電車
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住乃江味噌の池田屋
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住乃江味噌の由来
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松下商店(酒屋)と住吉福祉会館
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