2016.04.09 愛知県半田市 半田まち散歩

半田は知多半島の中央部にあり 知多半島の行政・経済の中心となる街で
江戸時代から醸造や繊維など 海運を活かした商業や製造業を中心に発展してきた歴史がある
江戸時代中期から始まった清酒の醸造が発展し 主に江戸への出荷が急増した
文化年間に ミツカン酢の創業者・初代中埜又左衛門が 廃棄される酒粕を原料に酢づくりを始め
酢飯の材料として 江戸で流行っていた屋台の立ち食い寿司に取り入れられ成功した
江戸時代の半田は 尾張藩領であったが 廃藩置県を経て明治5年に愛知県が発足し知多郡半田村となった
明治22年に町制施行して半田町となり 昭和12年に亀崎町・成岩町と合併し半田市となり現在に至る
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上半田秋葉山 北講の由来
この秋葉山は防火の神・正一位秋葉神社(静岡県天竜川上流)をお祀りしています。
天保7年(1836)に第1回の代参記録が現存します。この道は江戸時代、半田港が開かれるまで千石船の出入りする
大野港と下半田を結ぶ紺屋街道として、にぎわった道です。
明和3年(1766)の正月20日、漁村亀崎村の未亡人・お島のわらぶき家から出火し、村の主要部を焼き尽くす
大火となりました。この火事により上半田の住民に強い防火意識が芽生えました。
ところが、しばらくの間、冷害による農作不況が続き、文化・文政年 間(1804〜30)になって、
ようやく豊作となり、住民も経済的余裕が生まれてきました。そこで、この地域住民らは、浄財を出し合い、
4カ所に萩葉山の祠を建てました。天保7年 (1836)以来現在も、代参を続けています。
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西山浄土宗 光明山 摂取院と背後の「イブキの大木」
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天然記念物「イブキ」
樹齢300年 樹高15m 幹周り3.75m
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半田赤レンガ建物(国道の陸橋から撮影)
明治31年(1898)にカブトビールの製造工場として建てられた日本屈指のレンガ建造物である
明治20年(1887)に中埜酢店の4代目中埜又左衛門と その甥で後に敷島製パンの創業者となる盛田善平によって
設立された丸三麦酒醸造所・後の丸三麦酒株式会社が建設したビール工場で 同時に銘柄も 「丸三ビール」から
「カブトビール(加武登麦酒)」に改められている 明治33年(1900)のパリ万国博覧会では金牌を受賞し
東海地方では最大のシェアを誇ったが 明治39年(1906)経営立て直しの為 資本家根津嘉一郎へ経営権を譲渡し
日本第一麦酒株式会社となった 明治41年に加富登麦酒株式会社へ改称 大正11年に帝国鉱泉(株)
日本製壜(株)を合併して 日本麦酒鉱泉株式会社に改称 昭和8年には最大手の大日本麦酒(株)と合併した
昭和18年(1943)の企業整備令により半田工場が閉鎖され 「カブトビール」の製造は終了した
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ハーフティンバー棟とトロッコの軌道
木骨レンガ造、平屋建てで、勾配の緩やかな切妻屋根をのせたこの棟は、ハーフテインバーという建築構造様式で
造られています。他の部分と異なり重厚な赤いレンガ壁と木骨の柱・梁、筋交いの軽快さが対照的です。
このハーフテインバー棟は、力ブトビールエ場時代、瓶詰め場、瓶置場、 瓶洗場などに使用されていました。
また、現在の木製デッキのレベルに運搬用プラツトホームがあり、ト口ッコの軌道が延びていました。
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生カブトビールが飲める「カフェ ブリック」
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梁を支えていた鋳鉄製の柱頭
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本町6丁目 昭和8年(1933)建築の合資会社同盟書林
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上半田住吉神社の祭礼は「ちんとろ祭り」と呼ばれ 始まりは寛政年間(1789〜1801)の頃といわれている
毎年4月の第2土・日曜日に行われ 神輿を警護する2両の山車の町内曳きもあるが
境内の宮池に2艘の「ちんとろ舟」を浮かべ 船上の舞台で子供三番叟の舞を奉納するのが特徴である
舞は力強い男の舞と繊細で優しい女の舞が披露されるが どちらも男子が舞う
「ちんとろ舟」は津島「天王祭」の「まきわら舟」を文化・文政の頃伝えたといわれている
宵宮には 舟の真柱に12ヵ月を表す12個の提灯と その回りに1年365日を表す提灯が半球形に飾られる
「ちんとろ」の由来は 船上の提灯が「珍灯籠」であることと お囃子が「チントロ・チントロ」と
聞こえるところからきているといわれる 当日は 宵祭りを時間の都合で見ることが出来なかった
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國盛 酒の文化館 ペリー来航の弘化元年に創業した中埜酒造
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半六庭園・旧中埜半六邸
中埜半六は ミツカングループの中核・中埜酢店の10代目当主で 明治22年(1889)に半田運河沿いの地に
建設した本宅跡には 約900坪の敷地に凡そ300坪の数寄屋建築と和式庭園が残されている
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萬三商店の蔵(閉業外観のみ)
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ミツカンの蔵
黒壁蔵の並ぶ半田運河は幕末の安政年間に開削され 醸造業と海運で繁栄した当時の姿を今に伝える
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明治末期の半田運河(掲示板の写真)
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大正時代の半田運河(掲示板の写真)
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MIZKAN MUSEUM(通称・MIM)とミツカン本社
ミツカンマークは 明治17年(1884)の商標条例の施行に伴い 4代目当主の中埜又左衛門(中野小吉)が
中野家の家紋である算木紋に丸環を加え「天下一円にあまねし」といういみを込めて考案された
マークの「三つ環」はそのままミツカン酢という商品名となり社名となった
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小栗家住宅 萬三商店は中埜酢店と並ぶ豪商であった
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全国で最も古いJR半田駅の跨線橋は 明治43年(1910)に架設された 
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鋳鉄製の柱には辛うじて「明四十三 鉄道院?」の文字が読める
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レンガの建造物も当時のもの
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JR半田駅の西側・南末広町にある個性的でモダンな建築にストーブの煙突が印象的な「内藤フルーツ」さん
平日限定の生クリーム使用のフルーツサンドイッチが美味しいらしいけど いつも発売から1時間で売り切れ
無論買うことは出来なかった
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 <右上>中野家10代目当主の半六が別宅として建てた旧中埜家住宅は
明治時代末期の洋風建築で 昭和51年(1976)に国の重要文化財に指定された
内部にはカフェもあるらしいが 現在保存修復中で入館できず外観をも見ること叶わず
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半田市観光協会のホームページから写真をお借りました http://www.handa-kankou.com
写真で見ると素敵な洋館です 機会があれば是非とも再訪したいと思います
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