2016.04.09 愛知県常滑市栄町 常滑やきもの散歩道

平安時代末期より栄えた古窯で 大型の甕や壺の主要生産地として栄えた 中世の常滑焼の窯跡は
千基以上が 発掘されており 推定数は三千基に及ぶとされるが 未だその実数は不明のままである
これは知多半島の地質と地層が  大型陶器の焼成に都合の良い穴窯が築造しやすく
崩壊しにくい性質を持っていたことによるものである
また伊勢湾に面して海運にも利便性が良く 遠く奥州にまで運ばれたことが知られ 鎌倉期以降は全国的に
販路が広まった 江戸時代後期には茶器や酒器などの小物も焼かれたが やはり甕・壺・蛸壺・火消し壺
竃・火鉢などが主要生産品であった 近世江戸末期には土樋と呼ばれる土管が登場する
明治になると 政府の近代化政策による土木工事に多用された近代土管の 規格化及び大量生産方法が確立され
また 近代建築に採用されるテラコッタやスクラッチタイルなどの 建築陶器の生産も始まり活況を呈した
それらを生産する連房式登窯は 明治後期には倒焔式石炭窯となり レンガ煙突から吐出される煙は
常滑繁栄のシンボルとなった 昭和40年代中頃からは重油窯となり 後にガス窯や電気釜が普及し
量産品はトンネル窯を使用するようになって 町中の煙突からは煙が出なくなった
高度成長期以降は 保存容器としての甕や壺の需要が激減し 塩ビ管の登場によって土管の生産も終焉した
imgimg
imgimg
img
img
imgimg
img
img
imgimg
imgimg
img
img
img
img
img
img
img
imgimg
土管の焼却炉?
食べ歩き客用「だんご茶屋」の串入れ
img
土管坂 土管と焼酎醸造瓶の法面 土管片の舗装路 工事には出荷できなかった不良品を流用している
imgimg
常滑の猫バス
IWCAT 1988 Frank Storm作
img
IWCAT(とこなめ国際やきものホームステイ)
1985年から2011年までの27年間、夏に世界の陶芸家を常滑に招いて、約40日間一般家庭にホームステイ
しながら作陶するという市民活動でした。27回の参加者合計は 42カ国 383名です。
imgimg
焼成窯のレンガを流用した塀
登窯広場の水琴窟
img
登窯広場
imgimg
土管の長イス
今では土管も輸入品
imgimg
img
昭和49年(1974)まで使われた10本煙突の登窯 昭和57年(1982)国の重要有形文化財に指定された
img
img
第一室の石炭焚き口 第二室以降は薪を使用した
img
搬入搬出口 焼成に11日程度かかった
img
imgimg
img
imgimg
土管坂
パン工房風舎
img
窯ヤ やはり物は大きい
img
imgimg
imgimg
柳井戸の坂
大正10年10月架橋 いちき橋
TOP