早朝に自宅を出発 肥前浜宿の観光駐車場に車を置いて 多良宿まで約20kmの多良海道を歩く
駐車場をのは午前10時に出発 浜宿から湯ノ峰地区に入ると 多良街道と書かれた黄色の標柱が目につく
この標柱は 佐賀県太良町が立てたものと思われ 風配高原・山茶花の県境まで道案内をしてくれる
県境を越えると「白い(旧)諫早街道」の道標となり 断続的に諫早の手前まで続く
浜町は標高約4m 矢答峠の標高は383mあり その標高差は約380mとなる
幕末から明治初期には 浜町から多良村の先にある糸岐村まで海岸伝いの道が拓かれ
矢答峠越えの街道は使われなくなった しかし糸岐村から破瀬ノ浦間は明治中期まで道路整備が遅れ
難所の山茶花峠を越える街道は しばらくの間使われたと思われる
2017.05.18 長崎街道脇往還 多良海道 浜町から矢答峠まで
肥前浜宿−矢答峠
標高グラフ
江戸−明治初期 佐賀県肥前国藤津郡図(1)
佐賀県立図書館データベース 古地図・絵図 藤津郡で検索 詳細はビューアーで閲覧可能
佐賀県立図書館データベース 古地図・絵図 藤津郡で検索 詳細はビューアーで閲覧可能
近代測量の歴史は 明治2年(1869)民部官に庶務司戸籍地図掛が設置されたことが始まりとされるが
当初は主に地誌編纂と地理資料の収集にあたることが任務とされ 明治5年(1872)に工部省測量司が
東京府下で三角測量を開始したのが近代測量の始まりである
全国的な測量は 明治21年(1888)に陸地測量部条例が公布され 漸く参謀本部陸地測量部が発足した
明治43年(1910)2万5千分1測図の作成を開始 大正4年(1915)に一等三角測量が完了した
大正13年(1924)には 全国5万分1測図の発行がほぼ完了した
上記の地図は 明治の測量前に佐賀県が独自に作成した藤津郡の字図で 赤の太線は県道 細線は里道を
表している これによれば江戸末期から明治初期には 浜町から糸岐村まで沿岸道路が開通しており
長崎県の湯江方面からは 破瀬ノ浦まで県道が通じている 明治33年の測図では全線開通している
当初は主に地誌編纂と地理資料の収集にあたることが任務とされ 明治5年(1872)に工部省測量司が
東京府下で三角測量を開始したのが近代測量の始まりである
全国的な測量は 明治21年(1888)に陸地測量部条例が公布され 漸く参謀本部陸地測量部が発足した
明治43年(1910)2万5千分1測図の作成を開始 大正4年(1915)に一等三角測量が完了した
大正13年(1924)には 全国5万分1測図の発行がほぼ完了した
上記の地図は 明治の測量前に佐賀県が独自に作成した藤津郡の字図で 赤の太線は県道 細線は里道を
表している これによれば江戸末期から明治初期には 浜町から糸岐村まで沿岸道路が開通しており
長崎県の湯江方面からは 破瀬ノ浦まで県道が通じている 明治33年の測図では全線開通している
10:15 浜宿一里塚の辻から上りが始まる
肥前浜宿番所跡
肥前浜宿番所跡
藩主や長崎奉行が浜宿に泊まると 宿場の南北に番所を設け 役人が篝火を焚いて夜通し警戒にあたった
番所跡の六地蔵塔(残骸保存)
鹿島市浜町甲の三差路を右へ
多良街道標識と湯の峰陸橋(平成5年竣工)
国道207号線鹿島バイパスを跨ぐ
行く先には昔と同じ青空だけが広がる
広域農道「多良岳オレンジ海道」を跨ぐ
多良岳オレンジ海道の跨道橋を渡り振り返る 斜張橋は新浜大橋 奥に有明海と有明干拓地
少し登ると 左手に鹿島の街並み龍王崎の丘 その奥に鬼の鼻山や聖岳 そのまだ向こうに天山が見える
10:40 標識 湯ノ峰山の麓 標高90.5m
標識の所から振り返る
黒岩ダム(溜池)堰堤と奥に経ヶ岳・多良岳と五家原岳
尾根上の多良海道
イチゴハウス
浜川の谷を挟んで見える工場は 旭九州(株)と東亜工機(株)である 背後は浄土山
その手前 石垣棚田の上に花取三差路で分かれ 祐徳稲荷へ向かう旧街道が通る
その手前 石垣棚田の上に花取三差路で分かれ 祐徳稲荷へ向かう旧街道が通る
11:00 多良海道標識
標高145m地点 有明海が見える
11:15 腰掛石
花取ダム西で西葉(さえ)からの市道と合流
腰掛石
多良海道を往来する人々がこの石に腰かけて休んだと伝わり 当時は湯の峰から矢答に上る街道には
松が多く生えていて ここからは松林に隠れた祐徳稲荷神社の奥の院を遥拝できたといわれている
多良海道という名前の初見は 初代佐賀藩主鍋島勝茂時代の明暦元年(1655)に
統合編纂された藩法史料の鳥ノ子帳である
花取三差路 左祐徳稲荷 道標は祐徳博物館へ移設
多良海道標識と祐徳バス花取停留所
一日3便 土曜1便(折り返し)日曜全休
標高231m 携帯電話アンテナ
鹿島市大字音成字七開 廃屋もちらほら
12:00 七開 標高262mから有明海
標高296mから 婦人ホーム前から鹿島市街遠望
婦人ホーム前のバス停と公衆トイレ
12:20 婦人ホームのある広い三差路 右の道を下れば 11.2kmで肥前七浦駅にでる
初夏の紅葉は野村楓(ノムラカエデ)
矢答峠手前の急坂から振り返る
矢答三差路 市道飯田線が分岐
矢答案内マップ
祐徳方面7k 飯田方面6k
バス停のある村はずれ
水置場の多良海道標識
12:50 矢答の水置場 案内板
矢答の水置場
矢答集落から少し浜町側に下った所で 湧水があり浜や多良から山道を登る旅人の格好の休息地であった
傍には「山神石塔講中」の石碑があり それには「是よ利太良だけ道/浜金屋町 開村」と記されている
この碑は、貞享元年(1684年)に建立された
山神石塔講中の石碑(自然石)
上に地蔵堂
左 FARM+CAFE BIGFAMILY
矢答天満宮
天満宮神殿
矢答公民館
13:00 少し開けた矢答集落の中心部
峠の市道三差路 左・江福 右・多良
江福方面7k 祐徳方面8k 上矢答多良方面
旧多良海道は直進する 標高383.5m
峠の道を右折して上矢答に向かうと 集落の上部に新しく開設された「矢答展望所」がある
今回は全コース徒歩なので 次回は車で登ってみようと思う