2013.05.15 小浜西組・舞鶴・天橋立

二泊目の車中泊先・道の駅シーサイド高浜から小浜に戻り 早朝の小浜西組を散策
歴史的建造物保存地区 小浜西組
小浜西組は小浜市街地の西方にあり 北に小浜湾・南に後瀬山を控えた街道に沿う東西に長い地域である
律令時代には若狭国遠敷郡の国府が存在した地域であるが 国府の比定地は未だ不明である
室町幕府の大永元年(1521)若狭国守護職・武田元光が 後瀬山に城を築いた
戦国時代後期から安土桃山時代は 丹羽長重・浅野長政・木下勝俊が相次いで入部
木下勝俊は若狭の遠敷郡・三方郡で6万5000石を領していたが 関ヶ原後に改易となり
慶長5年(1600)京極高次が入部し 翌年より北川と南川の河口三角州に平城の築城を開始する
城の建設は長期化し 慶長14年(1609)高次死去後は 嫡男忠高が築城を引き継いだ
寛永11年(1634)京極氏の転封により新たな小浜藩主となった 酒井忠勝も築城を受け継ぎ
小浜城は寛永19年(1641)に築城開始から40年を経て漸く完成した
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その間城下町は次第に拡大し 東組・中組・西組の3区に分かれたのは 貞享元年(1684)であった
西組は丹後街道に沿って近世前期の古い町割りが残る地域で 明治21年(1888)小浜大火が発生し
建築物の多くが失われたが 町割りとともに伝統的建造物が残る希少な地域でもある
街道北側に西から飛鳥・香取・貴船・白鳥・住吉が 街道南に東から神田・男山・浅間・大原の各区割がある
三丁町に代表される茶屋町は西の街道北側にあり 茶屋建築の千本格子 2階の縁や出窓を持つ建造物が
残されている  広市場・狭市場と呼ばれる商家町は東の地域にあり街道を挟んで切妻造平入の商家が並ぶ
後瀬山山麓および西北端には寺町がある 小浜公園駐車場に車を停めて 早朝の小浜を散策する
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貴船区の浜側通り
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貴船文殊地蔵と新築の家屋
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化粧を施された文殊地蔵
白鳥会館レンガアーチ
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白鳥区 白鳥会館(公民館) 明治22年建築 元薬店の蔵 国の登録有形文化財
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白鳥区の地蔵
切り取られた家
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高島歯科医院 大正14年建築の洋館 奥の離れ・土蔵も含め 国の登録有形文化財
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六芒星マーク
道標 丹波道 小濱町鹿嶋
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街道は西から南(八幡小路)へ曲がる 角に大正3年3月建立の里程標と丹波道の道標がある
(西)距福井市照手上町元標二十九里二町二間 (東)本郷村本郷へ三里二十六町三間 (南)大正三年三月
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神社参道を兼ねる丹波道 八幡小路
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八幡小路の大鳥居
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明治期の拝殿
丹波道は鳥居前を左へ
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丹後街道は 越前国敦賀郡敦賀津から 若狭国を東西に横断し 丹後国与謝郡宮津に至る街道である
現在では国道27号線と舞鶴からは国道175号・178号線に相当するルートとなっている
越前国側からは丹後街道と呼ばれ 丹後国側からは若狭街道と呼ばれている
古代北陸道(佐渡.越後.能登.越中.加賀.越前.若狭の一島六国)への官道は 近畿から山城・近江・若狭
及び越前を経て越後国に至るルートである また近江高島から北へ湖西を辿り疋田に通じる
現・国道161号線に相当する街道は 古代では北国脇往還と呼ばれ 近世では西近江路と呼ばれる古道である
近江から若狭への古道は 高島郡三尾駅(現・三尾里)で分岐して 安曇川に沿って朽木市場へ抜け
水坂峠を越えて上中(遠敷郡濃飯駅)で 若狭国府のある小浜市への道と分かれて北進する
若狭国府と丹後国府があった現在の宮津市を結ぶ官道(後の丹後街道)もあった
江戸幕府が開かれると 参勤交代道である中山道番場宿から直江津に至る北国街道が整備され主要道となる
湖西道路は西近江路となり 三尾−朽木−上中が若狭路に また後には保坂−近江今津の街道も通じて
朽木を経由することも無くなった 敦賀−上中−小浜−舞鶴−宮津のルートは丹後街道(若狭街道)となる
大陸との交易が途絶える江戸期以降 湖西地方は時代の流れから取り残されるが 幕末期・北前船の
活況によって一時蘇るが 明治以降の交通体系の変遷によって 再び不況となりわびしさを増していく
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突き当たりは枡形道
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常高寺への参道はJR小浜線に遮られ
臨済宗妙心寺派 萬松山 栖雲寺
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臨済宗妙心寺派 玉花山 東光寺
小浜大原の地蔵
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小浜大原で街道は左折する
小浜西組最西端の街道
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茶屋町 三丁町(猟師町・柳町・寺町の総称)
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飛鳥区の地蔵
庚申堂
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庚申堂
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観音堂と元料亭酔月(町並みと食の館)
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元料亭酔月前の路地
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福井県大飯郡高浜町宮崎 佐伎治神社 祭神 大己貴命 素盞嗚尊 稻田姫命
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福井県高浜町下車持 香山神社 主祭神:天香山命(あめのかぐやまのみこと)
舞鶴赤れんがパーク
舞鶴の赤レンガ倉庫群は旧帝国海軍舞鶴鎮守府の跡地である  北方の大国ロシアと清国に対する戦略軍事拠点として
明治22年(1889)湾口が狭く防御に適した舞鶴湾に鎮守府を設置する計画が決められた
しかし すでに広島県の呉 長崎県の佐世保の整備が始められており 資金調達が困難な財政状況であったが
日清戦争(1894−1895)の勝利によって清国からの賠償金が 舞鶴の軍港建設費用の資金として当てられ 
明治34年(1901)10月1日に漸く舞鶴鎮守府が開庁した 初代司令長官は東郷平八郎であった
赤れんがロードの重要文化財倉庫・三棟は明治の建築物
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重要文化財の赤れんが2号棟ー5号棟は大正時代の建築
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3号棟・5号棟・4号棟
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3号棟・5号棟・4号棟
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3号棟・まいづる知恵蔵二階フロア
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4号棟・赤れんが工房
2号棟・市政記念館
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2号棟・市政記念館内部
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3号棟・4号棟
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舞鶴は今も海上自衛隊基地の町
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国登録有形文化財 旧舞鶴線「北吸トンネル」西坑口 明治37年(1904)建設
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今は人道として利用
東坑口
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舞鶴市岡田由里 岡田橋
旧国道175号の岡田川に架かるこの橋は琵琶湖疎水を設計した田辺朔郎の設計と伝えられ
明治21年(1888)に架橋された 長さ16.7m 幅5m 花崗岩の切石を積み上げた珍しい石橋
舞鶴市大川徹光山 大川神社
主祭神:保食神 本殿・拝殿・中門は 寛政2年(1790)から明治5年(1872)にかけ建立された
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茅葺きの茶屋と鳥居
中門
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樹齢400年といわれる御神木の欅 幹周り4.65m
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拝殿と本殿

舞Iから国道175号・178号を通り宮津市上司から 宮津運動公園のある旧国道に入る
峠の旧・栗田(くんだ)トンネルは撥雲洞と名付けられ 近代土木遺産に登録されている
撥雲洞
国登録有形文化財 原簿記載:平成20年4月18日 官報告示:平成20年5月7日
石造抗門 延長126.0m 幅員4.7m
撥雲洞トンネルは、京都府第三代知事北垣国道により進められた京都・宮津間車道工事で、栗田峠を掘り抜いて
建設された。栗田峠は地元波路の賣間九兵衛の主導により、切り下げの計画が進められていたが、
明治17年(1884)、隧道へと計画が変更される。トンネルの開削工事は明治17年11月に着手され、同19年7月頃に
完成した。工事で使われた花崗岩の余材で、宮津城下大手橋が石造橋(めがね橋)に架け替えられ、同時期に竣工、
同年8月4日、トンネルと大手橋の開通式が行われた。「丹後宮津に過ぎたるものは、波路トンネルとめがね橋」と
いわれたという。入口(抗門)は花崗岩の切石を積み、柱型が立つ。上部題額には宮津側に「撥雲洞」、京都側に
「農商通利」と刻まれ、北垣知事の揮毫になる。京都・宮津間車道工事は、北垣知事による大規模土木事業の一つで、
撥雲洞トンネルは、宮津・丹後地域の近代化に貢献した、我が国最初期の近代トンネルである。
トンネルから波路側(宮津側)にしばらく進むと、右手に「隧道開鑿首唱者 賣間九兵衛翁の碑」と刻まれた
石碑が立つ。明治42年(1909)9月の建立で、栗田村・城東村・宮津町の沿道運送業者たちの寄付になる。
宮津市教育委員会
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東抗口 内部はモルタルが吹き付けられて石組み全体は見えない
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モルタル下の石組み
隧道開鑿首唱者 賣間九兵衛翁の碑
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西抗口

宮津市内で10数箇所の石橋めぐりをして 夕刻に傘松公園「天橋立」展望台へ向かう
ケーブル駅に到着した時間は午後5時を過ぎようとしていた ケーブルの最終まで30分しかない
駐車場は管理人も退出しており 駐車料は払わなくて助かったが  急いで上って 最終の一つ前で下山
 慌しい観光である  時間的に遅く観光客はまばら 夕景の日本三景も「またいい」」
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傘松公園展望台から天橋立
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新しく出来た傘松公園展望台 ウッドデッキとガラスデッキ
傘松山の麓にある 元伊勢 籠神社(このじんじゃ)
丹後国一宮 主祭神:彦火明命
社伝によれば 豊受大神は本来真名井原の地(現:奥宮)に鎮座し 匏宮(よさのみや)または与佐宮と呼ばれた
崇神天皇の時代 天照大神が大和笠縫邑から与佐宮に移った際に豊受大神から御饌物を受けた その4年後
天照大神は伊勢へ移り 後に豊受大神も伊勢神宮へ移ったため 当社を「元伊勢」という
養老3年(719)真名井原から現在地に遷座 主祭神を彦火明命とし 豊受・天照両神を相殿に祀り 祭神が
籠に乗って雪の中に現れたという伝承により社名を籠宮に改めた 真名井原の社殿は奥宮・真名井神社とされた
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鳥居の左上に傘松展望台とケーブルが見える
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神門 17:30
神社境内を抜けてもケーブル駅に行ける 神社の駐車場は無料だと思う
籠神社を出て国道174号線を北上 途中で買い物をして 今日の宿泊地「道の駅 船屋の里伊根」へ
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