2013.05.13-17 滋賀県大津市 日吉大社-鳥取県鳥取市 鳥取砂丘まで車中泊の旅

No.5 2013.05.17 兵庫県香美町餘部-新温泉町 / 鳥取県岩美町-鳥取市 鳥取砂丘

朝7時に「道の駅あまるべ」を出発し 山陰本線の明治の駅 浜坂・居組・岩美・宝木・浦安・下市・御来屋の
七つの駅を訪ねつつ 諸寄から鳥取砂丘まで山陰海岸ジオパークを通り島根県から山口県を経由し九州へ帰る
旅程としては明朝までに帰らなくてはならないが まだ兵庫県にいる 関門海峡まで まだまだ遠い
Link:山陰海岸ジオパーク公式サイト


兵庫県美方郡新温泉町浜坂 山陰本線 浜坂駅

明治以前の浜坂村は 二方郡(ふたかたぐん)に属し 周辺24ヶ村と合わせて天領であった
明治22年(1889)4月の町村制の施行により 天領であった浜坂・芦屋・清富・赤崎・三尾・和田の6ヶ村と
但馬豊岡藩領であった田井・指杭の2ヶ村が合併して東浜村が発足 役場は浜坂村に置かれた
明治24年12月に町制施行し浜坂町となり 明治29年(1896)4月 七美二方両郡の区域で美方郡が発足した
昭和29年(1954)10月 大庭・西浜の2ヶ村と合併し 新たな浜坂町が発足した
平成17年(2005)10月 温泉町と合併して新温泉町が発足 市庁舎は旧浜坂町に置かれた

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7:13 蒸気機関車給水塔
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浜坂駅は国有鉄道山陰西線 浜坂-岩美間の延伸により 明治44年(1911)11月10日 終着駅として開業
翌・明治45年(1912)3月1日には 山陰本線の京都-出雲間が全通した
現在の駅舎は昭和34年(1959)3月に改築されたもの 構内の機関車給水塔が唯一開業当時の建造物である

兵庫県美方郡新温泉町諸寄 諸寄港

諸寄(もろよせ)は 江戸から明治時代にかけて日本海を北前船が往来していた当時
「風待ち湊」として賑わった港である
港を見下ろす城山公園展望台へ車で上る 雲が流れていく 陽が昇るにつれ 海の色が刻々と変化していく
午前8時 展望台で朝食をとる 遊歩道を行けば浜坂港側にも行けるが なんの変哲もない景色であった

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7:25 城山公園展望台
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中央左 岬の上にある灯台は日和山灯台 かつては 岬の日和山に常夜灯が設置されていた
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遊歩道 浜坂・諸寄コースから 浜坂漁港・浜坂市街地・浜坂県民サンビーチ・岸田川河口
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藤の花も そろそろ終わる季節である

兵庫県美方郡新温泉町居組 穴見海岸

北但層群八鹿類層に属する安山岩質の溶岩や火砕岩(約2000万年前)が侵食された小島の点在する磯浜
俵状節理が発達した流紋岩の岩脈が 岬や小島を形成している 山の緑と磯に浮かぶ岩礁が織りなす風景で
西側に続く崖地には 離水海食洞門の亀山洞門・日本洞門がある

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8:39 穴見海岸展望台
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代表的なリアス式海岸で 沖に白島(中央の尖った岩)・赤島・めおと島など大小の岩礁が散在する

兵庫県美方郡新温泉町居組字大坂 山陰本線 居組駅

官営の山陰西線 浜坂-岩美間延伸により 明治44年(1911)3月竣工 同年11月10日開業
兵庫県に所在する山陰本線の駅としては最西端に位置し 鳥取県の東浜駅に隣接する

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8:50 JR 山陰本線 居組駅舎 明治44年(1911)3月竣工
諸寄-東浜間は内陸部を通過するため途中駅の居組は 集落から大きく外れており 駅周辺は人家もない
街の中心部から駅まで約1km 登り坂の細道があり高低差は約25mある 通学の自転車は辛い
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9:10 七坂八峠展望台に寄る
スマホ・カメラの自撮り台
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178号バイパスの岩美道路には入らず旧国道を行く 居組港を過ぎ七坂八峠展望台からの居組港の展望
峠を越えれば鳥取県である

鳥取県岩美郡岩美町陸上(くがみ) 東浜

鳥取県内でも特に透明度が高い海が広がり エメラルドグリーンの海面に日差しがきらきらと輝く様は美しい
駅から50m10分でサラサラの白砂に覆われて弓形に湾曲した海岸に出る 夏はリゾート地として人気を博す

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9:22 東浜展望所 東浜から西脇海岸の洞門奇岩群・羽尾(はねお)半島の羽尾鼻まで展望
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東浜にはサーファーが多い 峠の展望台から東浜海水浴場遠望 砂浜と旧国道と山陰線
オレンジ色の屋根は レストラン・アル マーレ
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東浜の東端 嵐ヶ浜海水浴場と陸上洞門
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東浜から羽尾鼻

鳥取県岩美郡岩美町小羽尾 西脇海岸 洞門奇岩群

西脇海岸は東浜から小羽尾へ至る海岸線で 名前は東浜の西端にあるので「西脇」なのだと思われる
山陰海岸ジオパークを代表する岩美海岸の中でも 最も美しいと言われ
透き通るエメラルドグリーンの海に洞門・奇岩・小さな島々や岩礁が点在し 白砂青松の風景と相まって
秀美でコントラストのある造形を醸し出している 別名「寝覚めの佳境」とも称される桃源郷である

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9:55 西脇展望駐車場

鳥取県岩美郡岩美町大字浦富字国次 山陰本線 岩美駅

山陰西線が鳥取から延伸し終着駅として 明治43年(1910)6月10日 開業 近代土木遺産に指定
他資料の一部に明治42年(1909)竣工の記録が残る 平成6年(1994)改装

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かつて岩美駅から岩井温泉まで 762mm軌間:営業距離3.4kmの軽便線・岩井町営軌道があったが
昭和19年(1944)1月に休止し撤去された

鳥取県岩美郡岩美町田後 城原海岸

白砂青松100選の浦富海岸から 県道155号線を海岸に沿って移動 浦富海岸は美しい白砂浜ではあるが
岩礁が続く山陰ジオパーク内では インパクトの無い地味な存在でしかない
先に進み城原(しらわら)海岸へ行く

城原海岸は、円く磨かれた握り拳程度の大きさの礫(れき)が多く見られる礫浜です。 これらの礫の多くは、
浦富海岸一帯に広く分布している花こう岩で、浦富海岸の花こう岩は、日本列島がアジア大陸の一部であった
約6000万年前にできたと考えられています。

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10:40 城原展望所 左沖合のひときわ大きい岩礁が「菜種島」である
城原海岸の沖合の一番大きい「菜種島」から陸地に向かって並ぷ五つの島を「菜種五島」と言い、
花こう岩でできています。 これらの島は陸続きであったものが、波によってけずられて洞窟ができ、
やがて貫通して洞門となり、その洞門が大きくなって上盤が崩落し、分離して島となったものです。
なお、「菜種島」は、毎年春になると菜種が美しい花を咲かせることから、この名がつきました。
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「菜種島」の洞窟
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城原海岸の北東600m程の沖合いにある島で、一見黒ずんで見えるので黒島の名前がつきました。
海岸や周辺の島が花崗岩であるのに対して、黒島は凝灰角礫岩という岩石でできています。
この凝灰角礫岩は、およそ2000万年前頃の火山活動によって形成されたものです。
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網代港から出航している「浦富海岸めぐり」観光船

鳥取県岩美郡岩美町田後 浦富海岸 鴨ヶ磯

なおも県道155号線を海岸に沿って移動する 浦富海岸の鴨ヶ磯は 東から大鴨ヶ磯・椿谷・小鴨ヶ磯の
三つの浜を総称する名前である リアス海岸特有の複雑な入江に数多くの小島が浮かび
浜では大粒の石英砂が水晶のように輝き 季節による様々な海辺の植生を観察できる浦富海岸の中でも
特に優れた景勝地で その名の通り鴨や海鵜に出会うこともある

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10:53 鴨ヶ磯展望所
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洞門のある波打際まで遊歩道が通じているが 残念ながら時間が無い
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網代で国道178号線に戻り 駟馳山峠で9号線と合流 鳥取砂丘を目指す

鳥取県鳥取市福部町湯山 鳥取砂丘

山陰海岸国立公園の特別保護地区に指定されており 南北2.4km 東西16kmの海浜に面した砂丘としては
日本最大である 昭和30年(1955)に国の天然記念物に指定 平成19年(2007)に日本の地質百選に選定された

砂丘の形成は 中国山地の花崗岩が風化し 千代川によって日本海へ流された後 海岸に集まったものが砂丘の
主な砂となっている 海中の砂を海岸に向けて流れ寄せる潮流と
海岸線に堆積した砂を内陸へ吹き込む季節風の働きで形成されたと考えられている

地質学的に言われる砂丘本体は 千代川を挟み東西に広がっているとされるが 西の左岸側は開発が進んでおり
景観上での鳥取砂丘は 千代川の右岸(東側)545haの「浜坂砂丘」を指す 最大高低差は90mもあり
「すりばち」と呼ばれる窪地も有名で 特に大きなものは「大すりばち」と呼ばれ40mの高低差になる
すりばちの斜面に現れる流れるように砂が崩れ落ちた形が 簾を連想させる「砂簾(されん)」といった模様や
風速5-6m程度の風によって形成される「風紋(ふうもん)」と呼ばれる筋状の模様も有名である

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12:06 今日は風が強いので砂丘の至る所に「風紋」が出来ている 「風紋」も風と一緒に歩いている
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12:40 風が強く吹き飛ばされる砂で足下が霞んでいる カメラの防塵に必死であった

鳥取県鳥取市気高町宝木 山陰本線 宝木駅(ほうぎえき)

官営鉄道・鳥取仮停車場-青谷間延伸により 明治40年(1907)4月28日 開業

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13:38 駅舎内に山陰合同銀行宝木支店がある

鳥取県東伯郡琴浦町大字徳万字大久保田 山陰本線 浦安駅

官営鉄道・米子-御来屋間が東へ延伸し終着・八橋駅として 明治36年(1903)8月28日 開業した
財産標によると明治36年(1903)2月に竣工している 同年12月20日には倉吉駅まで延伸し途中駅となった
昭和3年(1928)7月 当駅と赤碕駅間に季節営業の臨時駅として八橋浜仮停車場が開業した
昭和13年(1938)8月には通年営業の駅に格上げされ八橋駅に改称され 当駅は東八橋駅となった
昭和24年12月15日 浦安駅に改称

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14:32 旧山陰街道 八橋(やばせ)宿は 駅の北東側へ1.3kmにある

鳥取県西伯郡大山町上市 山陰本線 下市駅

国有鉄道・米子-御来屋間が東へ八橋(浦安)まで延伸し 途中駅として明治36年(1903)8月28日 開業
その後駅舎は改築され昭和13年(1938)3月28日に竣工しているが 随所に旧部材が流用された形跡を残す

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14:56 駅の西800mに旧山陰街道 下市宿がある

鳥取県西伯郡大山町西坪 山陰本線 御来屋駅(みくりやえき)

明治35年(1902)11月1日開業 近代土木遺産に指定
国有鉄道が山陰地方で初めて開通させたのは 大陸からの物資陸揚げ地である境港から
陸軍軍馬補充部のある富長村(大山町富長)に近い御来屋までであった
施設された駅は 境港・大篠津・後藤・米子・淀江・御来屋の6駅であった
今では唯一当時の駅舎が残り 山陰地方では最古の駅舎となっている
駅名は御来屋駅となっているが 市街の東外れにあり 御来屋中心部へは 1.3km西隣の名和駅が近い
石州赤瓦の切妻屋根と漆喰壁の美しい駅舎である

昨年の4月に続き二度目の訪問

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15:13 上り線ホーム

今回の旅はここで終わりとする 自宅まで下道で 465km・11時間 到着は深夜の午前2時過ぎであった

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