2013.08.15 山口県大島郡周防大島町 周防大島散歩 / 柳井市神代 大畠散歩

8月13日-17日 山口県東部 車中泊旅 山口-岩国-周防大島-柳井-上関-光-防府
3日目 柳井市神代 大島大橋大畠パーキング - 柳井市 白壁の町並み観光駐車場

大島郡周防大島町 周防大島散歩

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案内パンフレットには「のんたおーしま・金魚島」と大きく印刷してある
"のんた"とは山口県周防地方の方言で「ねえあなた」が訛って「のうあんた」
それが「のんた」になったものだとか 語頭に用いる場合は 親しみを込める意味がある
さて金魚島だが 形が金魚に似ているらしい 公式サイト:周防大島ドットコム

国土地理院により正式名として屋代島(やしろじま)と称されるが 周防国の大島であることから
周防大島や地元では単に大島と呼ぶ方がとおりが早い 島内には縄文・弥生時代の遺跡が存在し
『日本書紀』や『古事記』にはイザナミが生んだ大八島のひとつで 七番目に生まれた島とされている
古代 大島国造が置かれ 奈良時代には長屋王の封戸が大島郡に存在した可能性が指摘されている
鎌倉時代初期まで荘園が拓かれ地頭職が置かれた 室町時代から戦国時代にかけ一時期村上水軍の拠点となり
その後は毛利氏の統治下に入った 江戸時代も長州藩の所領となって明治まで毛利氏の支配が続いた

本州と屋代島を隔てる大畠瀬戸は 古代より太宰府に向かう筑紫路で 安芸灘から周防灘に通じる
瀬戸内沿岸航路の要衝となっている 遣新羅使の田辺秋庭が『万葉集』で
『これやこの 名に負ふ鳴門の 渦潮に 玉藻刈るとふ 海人娘子ども』と詠んだ「鳴門の渦潮」とは
阿波の鳴門ではなくこの大畠瀬戸のこととされる この瀬戸の 最狭部の幅は約800mあるが
航行可能な水路の幅は約290mに過ぎない この隘路に現在でも中・小型船が1日約300隻も航行する

海上交通安全法により航行経路が指定される難所で 昭和51年(1976)大島大橋が架橋された
山が海岸線まで迫り平地はわずかであるが 温暖な気候を利用してミカンの栽培が盛んである
面積:128.31平方km 周囲:約160km 最高地点:標高691m・嘉納山(かのうさん)

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6:00 大畠パーキングから大島大橋の歩道を散歩 長さ:1020m 幅:9m 海面からの高さ:31.9m
昭和51年(1976)有料道路として開通 平成8年(1996)より無料となった
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橋脚のアオサギ
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国道188号線・山陽本線と大畠瀬戸と広島湾 福島・前島・幣振島・周防大島の田ノ尻鼻
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6:08 出漁
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6:20 大畠瀬戸は好漁場 遠くまで出漁の必要は無い
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7:08 周防大島町大字久賀 久賀漁港

標高 618.5mの嵩山(だけさん)に車で登る
文珠山(662.5m)嘉納山(691m)源明山(624.5m)と合わせて瀬戸内アルプスと呼ばれる山

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7:42 展望台兼パラグライダー施設
パラグライダー滑空場 TAKE OFF
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北側の展望 福島・前島・久賀市街地・大崎山
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南側の展望 柳井市平郡島・掛津島・安下庄湾・安下崎
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観光マップ(画像:1320X750ピクセル)
山岳部に走る広域農道には「オレンジロード」の愛称がつけられている
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8:18  広域農道 周防大島オレンジロード 東和橋
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周防大島町大字西方 下田と我島
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オレンジロードから南へ 8:42 周防大島町大字内入 小泊の浜 右から禿島・四ツ子島・笹島
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四ツ子島
山口県道60号橘東和線
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9:10 周防大島町大字油宇 大鼻岬と別荘地
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周防大島町大字油宇 油宇漁港と標高 114.9mの保木鼻

10:35 周防大島町大字伊保田 陸奥記念館
昭和18年(1943)6月8日 大爆発を起こし沈没した船艦陸奥を記念して 昭和47年(1972)11月に建設された
沈没地点は屋代島の沖で 現在も艦体の一部が残されたままである 未だ爆発原因は不明とされ
当初は人為的な爆発である可能性が高いと言われ スパイの破壊工作・乗員の自殺・放火説などが挙げられた
また過去には自然発火説も取り沙汰されたが 現在では否定的意見が多い また前年に投下された不発爆雷による
誤爆説もある 総乗員1474名のうち 救助さたのは353名で 死者及び行方不明者が1121名となる大惨事であった
昭和45年(1970)艦体の一部や菊の紋章・主砲身や主砲塔などが回収され 現在は同館に収蔵されている
戦艦 陸奥 沈没地点<map

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沖家室島(おきかむろじま)を目指し国道を南下 平野から県道60号線に入る

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国道437号線から 前小島 中小島
県道60号 大字西方字小積 片添ヶ浜
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11:10 周防大島町大字西方字小積(おづみ) 小積厳島神社鳥居

11:20 周防大島町大字沖家室島
沖家室島は周囲5kmで 人口約200人の高齢化率が日本一の小島 明治中頃以前は 瀬戸内海を帆船が行き来し
この島も賑わいを見せていた 江戸時代には萩藩の番所が置かれ 明治時代には人口が3000人に上り
遠洋漁業も盛んで 対馬・朝鮮・台湾・ハワイ諸島まで出漁 またハワイに移民を送るなど繁栄していた

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昭和58年(1983)完成 沖家室大橋(全長380m)
初盆の精霊舟
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大橋に陣取るカモメ 車の通行にも動ぜず
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周防大島町安下庄 県道60号線 鹿家(ししのいえ)立岩
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立岩ヶ浜を過ぎ 東安下庄(ひがしあげのしょう)から再びオレンジロードに入る
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オレンジロード笹峠橋から西安下庄と安下庄湾を展望
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屋代ダムと屋代湖
ダムとちびっ子ゲレンデ
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西屋代の日本ハワイ移民資料館 入館料:400円 しかし入館せず
明治の「官約移民」時代(1885〜1894年)周防大島では 全国の送出総数約2万9千人の約13.5%にものぼる
3913名の島民をハワイへ送り出した 元々島に根付いていた出稼ぎ文化に加え
自然災害や当時の社会情勢など要因も様々であった 契約終了後も島へ戻らずハワイに残留する島民も多く
移住者からは家族への送金の他 島の神社や学校への寄付が行われた
米国の統治後も多くの人々が渡航し 太平洋戦争後は多くの寄付や支援物資がハワイから島にもたらされた
1963年にはカウアイ島と姉妹島縁組が締結された

山口県柳井市神代 大畠(おおばたけ)散策

大畠は 大畠瀬戸を挟んで周防大島の対岸にある古い町 吉川(きっかわ)藩の小瀬上関往還の宿場町である
吉川藩(岩国藩)
周防国大島郡の一部及び玖珂郡南部を領地とした独立藩で 藩庁は岩国城跡の陣屋である 江戸時代を通じ
長州藩毛利氏一門の吉川氏が領主だったため 毛利氏の支藩としてのイメージが強く通称吉川藩と呼ばれるが
長州藩においては 吉川は毛利の家臣であり 大名ではないと主張し 幕府に対し岩国領を支藩とする届け出は
していない しかしその一方で幕府からは六万石の外様大名格として扱われるという 極めて希な存在であった
これは関ヶ原の戦いにおいて 吉川広家が東軍方に内通し西軍不利の情報を得て 毛利勢の動きを封じ戦いに
参加させなかった その後も毛利氏安泰を計り 黒田長政を通じ家康より所領安堵の密約を取りつけていたが
戦後一転して家康は毛利家を取り潰し吉川家を取り立てようとした これに対して吉川広家は毛利氏存続のため
奔走し 結果として毛利氏は改易は免れたが 長門・周防の2カ国に大幅に減封さた このことが幕府側からは
一定の貢献があったとされたが 一方毛利側からは裏切り行為と見なされ 非難されていたことと関係する
大政奉還後の慶応4年(1868)3月 新政府により正式に岩国藩として認められているが
明治4年(1971)には廃藩置県となり 岩国藩の歴史は3年6ヶ月の短命であった

ふれあいタウン大畠に車を止めて散策開始

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15:18 国道に面して建つ常夜灯
以前 常夜灯は海岸にあった
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海原神社
隣にある 浄土真宗本願寺派 迦陵山 長泉寺
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最西端の本町漁港 背後に大島大橋
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鯛の形をした本町漁港のトイレ
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旧街道 小瀬上関往還
西国道小瀬の渡し場(岩国市小瀬)を起点とし 室津半島の先端・上関までを結ぶ総延長15里(約59km)の街道
小瀬川(木野川)右岸の小瀬から右岸沿いに 関ケ浜-瀬田-和木を経て装束浜へ出る 海岸伝いに室の木から
今津の札場へ 今津川を渡り中津を横断し 再度門前川を渡り門前へ至る 門前からは喜落寺峠を越え平田へ
平田からは山麓を迂回して海土路へ 海土路から片山峠を越えて郷ケ崎へ至り 郷ケ崎から海沿いに
藤生-黒磯-青木を経て保津へ 保津からは中・有木の二つの小さな峠を通津へ越え その後は由宇から神代へ
神代からは山中となり船木-本谷-西畑を経由して 石神川沿いに大畠宿へ下る 後は遠崎を経て柳井津に入り
伊保庄-竹の浦-宇積-尾国-志田を経て室津・上関へと至る道である
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大永年間(1521-27)開基 浄土宗 戒善寺
明和2年(1765)建立 火伏せ地蔵
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大師堂
大師堂内部
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小瀬上関往還
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戸口にある謎の「おまじない」
旧商家の出桁軒 腕木はケヤキ製
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渦潮と大橋・鯛をあしらったマンホールの蓋
災難除地蔵
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大正時代の大島渡船発着場 住吉漁港・住吉神社

萬屋材木店

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松本呉服店

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芝居小屋「大畠座」跡
古い町並み
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作り酒屋
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古い町並み
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小河履物店
小瀬上関往還
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内町の火伏地蔵
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地蔵裏の船着き場跡
石神川

もう少し町並みは続くが散策はここまで 柳井の「柳井温泉」へ急ぐ……早く風呂に入りたい
16:00 柳井温泉到着 天然温泉の銭湯で 入浴料金は 390円 市営 白壁の町並み観光無料駐車場に駐車

山口県柳井市柳井津金屋 柳井金魚ちょうちん祭り

平成4年(1992)から始まった柳井市の夏祭り 現在は「柳井三大祭り」のひとつに数えられており
8月13日の本祭りでは 金魚ねぶた・ふるさと花火などが行われ また祭りの前後には 柳井駅通りから
白壁の町並みなど中心市街地域に 郷土民芸品の「金魚ちょうちん」が飾られ 夜には明かりがともされる
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車中泊は 盆休み期間中夜間も開放されている新町観光駐車場を利用 トイレは遠いが本橋北詰にある
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