2010.02.24  長崎散歩

路面電車一日乗車券で朝から夜まで市内をぐるぐる散歩
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丸山町 長崎検番
丸山町 梅園身代り天神
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長崎電気軌道 正覚寺下駅
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中島川石橋群
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中島川石橋群 袋橋
古町橋
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眼鏡橋
中島川の第10橋 寛永11年(1634)興福寺の2代目住職 黙子如定(もくすにょじょう)が架けたと云われるが
寛文3年(1663)の大火で記録が消失したため確証はない しかし日本最古のアーチ型石橋で
正保4年(1647)6月の洪水で損傷し 翌慶安元年(1648)平戸好夢により修復された 川面に映った姿から
「めがね橋」と呼ばれていたが 明治15年(1882)正式に眼鏡橋と命名された 昭和57年(1982)の
長崎大水害により一部崩壊 昭和58年(1983)10月に復元されました 修復時に江戸期のものとみられる
階段跡が出土したため 階段が付けられた形で歩行者専用橋として復元 一部崩壊流出して後下流で見つかった
石材については 復元に使われた 昭和35年に国の重要文化財に指定されている
橋長 22m  幅員 3.65m  高さ 5.46m
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桃渓橋と鎮西橋
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上西山町 料亭富貴楼鎮
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西大社 諏訪神社長坂
松の森天満宮
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新大工町 シーボルト通り
caff cento anniで石焼トルコライス
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桜馬場天満神社 長崎街道起点
桜馬場公民館
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旧長崎街道 古橋
長崎街道 一ノ瀬口・蛍茶屋
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掲示板の古写真:明治初め頃の「一の瀬橋」と蛍茶屋
市指定史跡 一の瀬口
指定年月日・昭和45年10月7日  所在地・長崎市本河内町  所有者・長崎市
一の瀬口は 一の瀬橋を中心とする旧日見街道の一部をいう 一の瀬橋は承応2年(1653)
唐大通事陳道隆(日本名頴川藤左衛門)が私財を投じて架設したアーチ構造の石橋である
橋名にローマ字で<ICHINOSEBASHI>とあるが これは明治20年(1887)ごろ刻まれたものである
昔は この付近は樹林が茂り 夏は螢の名所であり 料亭があったので いつのころからか螢茶屋と呼ばれた
長崎を旅立つ人と 見送りの人たちとが別れを惜しんで酒を酌み交わしたのも この地であるが
当時をしのぶ遺構は 今では この一の瀬橋と付近の街道の一部だけとなっている
長崎市教育委員会(平成16年10月設置)
史跡―の瀬口蛍茶屋跡
文化文政(1804〜1829)の頃 甲斐田市左衛門によって この地に旅人歓送迎の茶屋が始められた
幕末から明治初期 二代目政吉の頃が最盛期となった 蛍の名所だったので 蛍茶屋と呼ばれた
長崎から矢上への街道筋 一の瀬橋のたもとにあった
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長崎電気軌道 蛍茶屋駅・車庫
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新大工町駅
若宮稲荷参道 坂の町長崎
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懐かしいポスト
館内町 森橋
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唐人屋敷 土神堂
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館内町 榮橋
唐人屋敷 観音堂
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唐人屋敷 福建会館
長崎出島 入場料500円
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カピタン部屋 和室リフォームの参考にどうですか シックでモダン
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出島橋の跡
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