平城京

7世紀末から8世紀の初頭にかけて都であった飛鳥の藤原京から より大きな平城京への遷都計画は
文武天皇在世中の慶雲4年(707)に始まり 翌和銅元年(708)には元明天皇により遷都の詔が出された
しかし計画は遅れ 和銅3年(710)の春3月に遷都された時点では 内裏と大極殿及び官人の住居が
あった程度で 寺院や貴族の邸宅はその後段階的に造営されていったと考えられている
その後 延暦3年(784)に長岡京に遷都されるまでの間 天平12年(740)末に平城京から恭仁京へ遷都
4年後の天平15年(743)の末に恭仁京の造営が中止され 建設中の近江の紫香楽宮に移り
さらに僅か3ヶ月後の天平16年(744)2月には難波京に遷都したが
1年余り後の天平17年(745)5月に都は平城京に再び戻された 今も遷都を繰り返す聖武天皇の謎である
聖武天皇が遷都を繰り返していた間 平城京は一時的に放棄されていたが 天平17年の平城京遷都以降は
山城国の長岡京に遷都されるまでの39年間は 平城京は朝廷政治の中心地であった
長岡京に遷都された後は 高野・熊野・伊勢詣での道筋に当たり南都(なんと)と呼ばれ
仏閣の寺町や門前町であった外京は残されたが 中世から近世まで その多くは農地として利用された
●朱雀大路 ●中ッ道 ●上ッ道 ●北横大路 ●上街道
平城京マップ
平城京は 唐の都長安や北魏洛陽などの都に倣って造営された都市である
8世紀初め元明天皇による遷都の詔で計画が始り 和銅3年(710)の春3月に藤原京から遷都された
各大路の間隔は 東西南北方向ともに一里(約531m)で 区画を坊として堀と築地によって囲った
さらにその中を 東西南北それぞれ三つの小路で区切って町とした
右京左京の京域は東西の距離約4.3キロメートル 外京は東西約6.3キロメートル
北辺坊を除く南北の距離は約4.7キロメートルであった
朱雀大路の幅は73mあり そのまま羅城門を潜り下ッ道として桜井の横大路まで直線で延ばされた
img
1.秋篠寺 2.西隆寺 3.不退寺 4.長屋王邸 5.藤原仲麻呂邸 6.喜光寺 7.垂仁天皇陵8.紀寺 9.佐伯院
10.観世音寺   A 奈良市庁舎 B JR奈良駅 C 近鉄奈良駅 D 猿沢の池 E 近鉄西大寺駅
下の写真は比較的条里制の名残が見られる西の京あたり
img
1.西一坊大路 2.西二坊大路 3.朱雀大路(朱雀大路の道幅は73mあった)
4.近鉄西の京駅 5.五条大路 6.六条大路 7.薬師寺 8.唐招提寺
 TOP