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説明にある石造反橋である 池の奥にあり 手前には木造の反橋が架かる
掲示板 旧久留島氏庭園附清水御門前庭
本庭は土佐出身の築庭師橋本東三による江戸時代後期の作と考えられるが 随所に江戸時代初期の作風が見られる
この庭は童話碑辺りにあった御殿から主として鑑賞する庭 枯滝や池の護岸などに巨石を多用し
石組みや庭景をうまくまとめている 地方の小大名であった久留島氏(1万4千石)がこのように見事な庭園を造り
今日までほとんど変わることなく保存されていることは 非常に貴重である
2010.04.13 大分県玖珠町大字森三島公園内 藩主御殿庭園池橋 その二
豊後森藩1万4000石は江戸時代において3万石以下の無城大名であった
祖先は瀬戸内海・村上水軍の一団で 姓を来島と名乗っていたが後に久留島と改名している
無城大名であったにも関わらず古城角埋山の山麓に疑似城郭を建設することに代々力を注ぐ
飛び地であった別府明礬温泉での明礬製造により 藩財政は潤っていたが 城郭建設で領民を苦しめた
今も負の遺産として民衆の心に傷を残し 現在においても史跡としての整備も滞りがちである
祖先は瀬戸内海・村上水軍の一団で 姓を来島と名乗っていたが後に久留島と改名している
無城大名であったにも関わらず古城角埋山の山麓に疑似城郭を建設することに代々力を注ぐ
飛び地であった別府明礬温泉での明礬製造により 藩財政は潤っていたが 城郭建設で領民を苦しめた
今も負の遺産として民衆の心に傷を残し 現在においても史跡としての整備も滞りがちである