2009.04.02 大分県玖珠町大字戸畑 平川橋

<地図>
掲示板 眼鏡橋(町道平川線)
眼鏡橋は通称「平川橋」とも言われている 橋は木牟田地区を上流とする浦河内川をまたぎ
明治34年(1901)7月に筑後出身の石工である益永浅太郎によって造られた 橋の欄干は何度も改築されているが
当時の親柱は現在一つだけ残っており この看板の前に移されている 親柱には「平川」と刻まれている
橋の架かっている場所は 古くは旧佐賀県道で 国道210号線の旧道である 国道210号が出来上がる
昭和45年(1970)までは 北山田商店街を通る幹線道路として 路線バスや乗用車など
車の通りが激しいところであった 石造アーチ橋は九州の特色ある土木文化であり
全国のアーチ橋の95パーセント近くが 九州・沖縄に集中している
大分県の石橋は 明治後半から大正・昭和初期のものがほとんどである
橋の概要 石造アーチ橋 単一アーチ 架設年:明治34年(1901)7月
橋長:15.5m  橋幅:4.7m  拱矢:6.1m  径間:11.7m  環厚:0.6m
玖珠町教育委員会 玖珠町文化財調査員会
明治に佐賀県道となる前は 日田から来来里のミツダ橋・名里橋(撤去)から大石峠を越えて大石橋・石鍋橋を渡り
代太郎峠を越え平川橋に至る天領日田丸山布政所と豊後大分の鶴崎を結ぶ豊後日田往還であった
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<左>唯一残された親柱
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下流側アーチ
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