昭和45年(1970)5月 EXPO'70
正式名は「日本万国博覧会」 英名では< Japan World Exposition, Osaka 1970 >
一般的には略式の英語標記として「EXPO'70」が用いられた
アジアで初めての万国博覧会であり 新たに設立された財団法人 日本万国博覧会協会が主催者となった
博覧会の名誉総裁には皇太子の明仁親王(平成天皇)が就任し 名誉会長は内閣総理大臣の佐藤栄作が務めた
昭和37年(1962)から入居が始まった千里ニュータウンの 南側に隣接する吹田市内・旧三島郡山田村の
千里丘陵地帯の竹林が開発され会場に当てられた 面積は330haあり甲子園球場の約86個分の広さであった
開催期間は 昭和45年(1970)3月15日から9月13日までの183日間(半年間)に及んだ
終戦25周年を記念に 高度経済成長を経てアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった日本の姿を
世界に発信する象徴的な意義を持つイベントとして開催された コンセプトは当時の世界的潮流を現す
「規格大量生産型の近代社会」を謳い 1964年の東京オリンピックに続く国家的プロジェクトであった
テーマとしては「人類の進歩と調和」を掲げ 世界77か国と4国際機関・香港政庁及び6州3市が参加した
一日最高83万人余りが訪れ 入場者総数は 6,421万8,770人で うち約170万人が諸外国からの訪問客である
https://www.asahi.com/special/expo70/
万博記念公園のシンボルとして 現在も残るカラスをモチーフとした岡本太郎デザインの「太陽の塔」は
テーマ館の一部として建てられた鉄骨鉄筋コンクリート造の建築物である
塔の高さは約70m 基底部の直径約20m 腕の長さ約25mあり 最上部の黄金の顔は「未来」を
正面胴体部の太陽の顔は「現在」を 背面に描かれた黒い太陽は「過去」を表している
塔内部には 生物の進化というテーマに沿った「生命の樹」と呼ばれる立体的な展示物が置かれていたが
閉会後は非公開とされた その後幾度かの限定公開が行われ 2018年3月より持続的な公開となった
合わせて当時テーマ館地下展示物の「いのり」に設置され閉幕後行方不明となっていた4番目の太陽である
「地底の太陽(太古の太陽)」が復元された 太陽の塔は 2020年に国の登録有形文化財に登録された
西口から万博ホール西側まで 約870mの距離に22台のゴンドラを循環方式で近畿日本鉄道が運営運行した
乗車定員は8名(最大15名) 走行中に2回転し 30mの高さから360度の展望が出来た
北斎の富嶽三十六景・神奈川沖浪裏に描かれた波と富士 仏像の青銅蓮台にヒントを得たとされる
<左>東芝IHI館
日本万国博/参加記念
IN COMMERATION OF EXPO'70
日本クラウス保存会 協賛 カゴメ株式会社
ようこそ エキスポランドにおこしくださいました。 このクラウス 17号蒸気機関車は
明治22年(1889)ドイ ツのクラウス社から輸入した23台の中の一台で、今でも走ることのできる
世界でいちばん古いものです。 81年間の鉄道史に残した足跡を物語る今
“人類の進歩と調和” に貢献した功績を たたえてやってください。