2024.02.18 福岡県筑紫野市大字山家 長崎街道 冷水峠(標高 316m)
長崎街道 冷水峠
慶長年間に藩主黒田長政の命を受け 黒田節に歌われる黒田藩士・母里太兵衛が内野宿の建設に携わった
内野太郎左衛門の協力を得て開削を行ったと黒田藩の記録に残されている 開通したのは慶長17年(1612)である
しかし 内野宿から山家宿に至る2里20町(距離10km・標高差270m)の冷水峠は 九州の箱根とまでいわれ
街道最大の難所であった 現在も内野宿側の峠道には断続的に石畳道が残され 沢には当時の石橋が架けられている
中世以降 冷水峠が開通するまで 小倉から香春・猪膝・大隈・千手・秋月・野町を経て松崎に至る秋月街道が
その役目を果たしていた 秀吉が九州平定時に通った道として知られ 江戸時代には長崎街道のバイパス道として
参勤交代にも利用された 寛永7年(1630)から秋月藩によって新八丁峠越の新道整備が開始された
現在の国道200号線は 北九州八幡西区の黒崎を起点とし筑紫野原田の国道3号線を終点とし
筑前国内の旧長崎街道をトレースする国道である 明治18年(1885)に長崎街道がそのまま「東京より長崎港に
達する路線」の国道4号となった 大正9年(1920)には 福岡市を経由する現国道3号線のルートが
「東京市より鹿児島県庁所在地に達する路線」の国道2号線に指定され長崎街道のルートは国道から外された
その後 同ルートが再び国道に昇格するのは昭和28年(1953)であった 冷水トンネルを通過する冷水道路は
昭和62年(1987)年4月に内野−山家間の全区間が有料道路として供用開始された
冷水道路(うぐいすロード)が無料開放されたのは 平成28年(2016)5月からである
国道および冷水道路共に旧街道の峠ルートを避けたため 石畳を含む旧街道の峠道が今まで残されることとなった
1.内野宿大門跡 2.大根地神社鳥居 3.首なし地蔵 4.一里塚跡 5.大根地神社鳥居・郡境界石 6.大根地神社鳥居








石橋の下流側側面に文政6年(1823)の銘が刻まれる 安政6年(1859)駐日英国総領事兼外交代表として来日した
オールコック( Alcock, Sir John Rutherford )が 日本各地への旅の様子を著した
『大君の都〜幕末日本滞在記』に「画家が描くにはふさわしい景色が多かった」と この橋を含む風景を称えた
このことから この橋を「オールコックの石橋」と呼ぶようになった
また橋の下を流れる清水は 穂波川の源流のひとつで 旅人の喉を潤したことが冷水峠の由来となった




郡境石・峠北側に「従是西御笠郡」峠南側に「従是東穂波郡」 共に支藩秋月領を含め筑前黒田藩領










大根地山は 太古から天神七代・地神五代(てんじんしちだい・ちじんごだい)の神々を祀る霊山のひとつとして
英彦山や宝満山と同様 修験道の山岳道場である 九合目に大根地宮が鎮座し今も信仰の山として崇敬される
峠から神社までコンクリート舗装の車道が整備され九州自然歩道に指定されたことから
大多数の登山者が舗装路を利用するようになっているため 車道をショートカットする登山道は不鮮明である
山頂付近は シイやカシノキ・タブ・ヤブツバキなど筑紫山地の貴重な照葉樹林帯が自然林の形で残されている
特にヤブツバキとアカガシの大木が群生する樹林帯は 学術的にも都市近郊では貴重で稀な存在である
大根地神社の由緒(解読?)略記
社伝によれば 仲哀天皇9年(西暦200年?)に 神功皇后が夜須の秋月・荷持田村(のとりたのふれ)を根城にし
民を苦しめる羽白熊鷲(はじろくまわし)を征伐したおり 大根地山に天神七代の11柱および地神五代5柱の神を
大根地大神として祀り 自ら神楽を奏して戦勝を祈願した
鎌倉時代の建久3年(1192)に 須佐之男(スサノオ)および大市比売(オオイチヒメ)の2柱を大神に合祀し
また「富士山に住む千年を超える神通自在の白狐が根地岳に遷り給う」として 根地雲閣稲荷大明神を建立
九州における別当稲荷社として崇敬を集めた 明治22年(1889)には 京都伏見稲荷大社の分霊を勧請し
別当稲荷大明神と称えた 現在では大根地神社・雲閣(稲荷)神社・別当(稲荷)神社の三社を総称して
大根地神社または大根地三柱大神と称す 一般には大根地様・お稲荷様・大根地稲荷様・大根地大明神様などと
親しまれ 五穀豊穣・商売繁昌・海上安全・招福除災・交通安全・人生儀礼・諸祈願達成の御利益信仰を集める











