2006.09.23  大分県玖珠郡玖珠町大字山田 万年山(はねやま)標高 1140.2m

奈良時代の天平(729−749)年間に編纂されたいわれる『豊後国風土記』によると
玖珠という地名は かつてこの地にあった楠の大木伝説に因むものであるといわれる
昔この地に雲も貫くクスの大樹がそびえて立っていた 朝日の影は肥後有明の海まで届き
夕日の影は伊予松山まで届くほどといわれた 大樹の下にある盆地には日永一日陽が射さすことがなかった
作物は育たず里人は困窮し病に倒れるものが続出した その頃 木牟田という在所に大男の木挽が住んでいた
ある日 里の長老たちが相談の上この大男に大樹を切り倒してくれと嘆願した
それを快く引き受けた大男の木挽は 力自慢の若い5人の木挽を引き連れ大樹を切り倒そうとしたが
幾日掛けても切り口がふさがり切り倒すことができなかった
そんなある日のこと 身のたけ九百尺もあろうかという大男が通りがかり 俺にまかせるが良いといって
斧をふりかざし幹を削ったが やはり翌朝には傷口が元に戻ってしまう
不思議なこともあるものだと一同困惑していたところに 大樹のてっぺんから屁糞蔓の精が降りてきて言うには
私達は長い間この大樹に養分をもらい生きてきた その恩返しに虫から守り傷口も葛の精液で直してきたが
大樹のやつは恩を忘れ「臭い臭い」と騒ぎ始めた 小さい頃から可愛がってきたがもう我慢がならぬと言って
倒すためには「毎日出る木屑を全て焼き捨てるように」とこっそり教えてくれた 
あくる日から 大男と木挽たちは力を合わせクスの大樹に立ち向かい
三年と三ヶ月を費やして巨大な大楠を切り倒すことができた 大楠は西側に倒れ 切株が伐株山となった
また 倒れる際にはね上げた土が山となったのが万年(はね)山となり
倒れる際に日田の湖をせき止めていた山を砕いて水が出て日田盆地ができた
その先 枝葉の散った場所は葉木(杷木)と呼ばれるようになった

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玖珠町大隈国道210号線家畜市場入口交差点を右折 別荘地と美人湯を経て吉武台牧場の駐車場へ
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標高グラフ
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鎗水から登山口駐車場(吉武牧場)までは車
作業道入口 この先乗り入れ禁止
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広い下バネ牧野台地を歩く ススキがきれいだ
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作業道を登る
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途中から下バネ台地を俯瞰
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北側に切株山と玖珠盆地 山頂まであと一息
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東西に広く長い山頂台地
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少しガスっているが桶蓋が近い
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昼食はおにぎりとカップラーメン
マツムシソウ
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作業道はトラクターが通る
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川底温泉に立ち寄る
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女性専用浴室もある
露天風呂も頼めば入浴可能
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ファームロードでコーヒーブレイク
一杯だしの本格派
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