2017.10.12 広島県竹原市忠海町大久野島 大久野島(おおくのじま)

四国への旅最終日は 瀬戸内の小島「大久野島」へ 別名「ウサギの島」 西に周囲2kmの小久野島がある
広島県中南部の芸予諸島に属し 面積0.7平方km 周囲4.3km 島の北側・島内最高地点で108mあり
ほぼ全域が環境省所管の国有地である 周囲にに散策路があり徒歩約70分で島を一周できる
フェリーで渡ることは出来るが車の島内通行は禁止されている
厳密には無人島扱いであるが 「休暇村大久野島」があり従業員が常駐する

平安時代末期の大治4年(1129)山陽道・南海道の海賊追討使に抜擢された平忠盛(清盛の父)が
この地を平定した際に 自らの名から島の北側の浦を「忠海」南側の大三島の浦を「盛」と名付けた
広島藩が「芸藩通志」を編纂するため 各村に提出させた「国郡志下調書出帳」には
大久野島には久野大明神が鎮座し この島の産神と記されており かつては有人島であった

明治初期に芸予要塞の整備計画がなされ 明治27年(1894)に灯台が設けられ
明治35年(1902年)には 3ヶ所の大久野島砲台が竣工した 大正5年(1916)に陸軍兵器庫が完成したが
その後 兵器の発達により既存要塞の整理が行われ 大正13年に芸予要塞は一度も用いられないまま廃止となった

昭和2年(1927)に陸軍造兵廠火工廠派出所が設置され 国際法違反の毒ガス工場が建設され
兵器用毒ガスが秘密裏に製造され貯蔵された 帝国陸軍は機密保持のため日本地図から大久野島を抹消し
昭和20年(1945)の終戦まで 数戸存在した民家を立ち退かせ 一般人の立入りを厳しく禁じた
びらん性猛毒イペリットや殺人用の青酸ガスなどが生産され 日中戦争勃発後に生産の最盛期を迎えた
工場や備蓄タンクなどから漏れた有毒ガスで全島の立木は枯れ ネズミも死滅するほどであった
敗戦まで国家総動員法で集められた従業員数は 延べ5千人から6千人とされ 後に多くの人が
毒ガスの後遺症に苦しんだが 後に広島大学の研究によってその実態が解明されたのは 1952年以降であった
終戦まで毒ガスが殺戮兵器として使用されることは無かったが 占領軍によって全て焼き払われ無毒化処理された

朝鮮戦争が始まると再び島は米軍によって接収され 島内に残存する建物を弾薬庫として用いた
接収は 昭和25年(1950)から昭和30年(1955)まで続き 返還後は 全島域が大蔵省の所管となり
灯台付近のみ運輸省の所管となった 後に灯台敷地以外の99.7%が厚生省所管となり
後の昭和38年(1963)7月に国民休暇村が開村し 昭和46年(1971)には環境庁に移管された

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Google map キャプチャー画像 2024年
1.大久野島 第二桟橋 2.南部砲台跡 3.大久野島第一桟桟橋 4.大久野島灯台 5.南部照明所跡
6.休暇村大久野島・三軒屋毒ガス貯蔵跡 7.長浦毒ガス貯蔵庫跡 8.北部砲台遺址 9.発電場跡

現在 島には約700羽の野生ウサギが生息していると推定されているが 在来種ではなく
すべて日本の侵略的外来種ワースト100にも指定されているアナウサギである
確かに 戦前から戦中にかけて毒ガスの動物実験用にウサギが飼われていたが
戦後の毒ガス関連処理の際に全羽殺処分されたため 当時のウサギの子孫はいないというのが事実である
現在生息しているウサギは 昭和46年(1971)に地元の小学校で飼われていた8羽が放たれて野生化し
繁殖したという説が有力とされている きっかけは国民休暇村の開村にあたり島のマスコット動物として
ウサギが最適であるとの結論から導入されたとある ウサギの数は現在も年々増加しているとみられているが
生息数の調査は行われてはいない 「ウサギの島ブーム」到来のきっかけは 干支が卯だった2011年に
日本のメディアが紹介したことから始まり 同年日本の旅行会社が国内外向けにウサギをテーマとした
旅行プランを企画し 2013年ごろ海外のニュースサイトが動画付きで紹介したことで一気に知れ渡った
現在では 来島者が発信するSNSが 世界中にウサギ島の存在を発信し続けている
休暇村大久野島公式サイト:https://www.qkamura.or.jp/ohkuno/
うさぎからおねがい:https://www.qkamura.or.jp/ohkuno/free1/?p=32

大三島の道の駅で朝を迎えたが 今にも雨が降りそうな空模様 盛港から船で大久野島へ渡ろうと思っていたが
半ばあきらめかけて「しまなみ海道」で尾道へ渡り進路を西へ取った しかし途中で若干晴れ間が覗く空に
急遽午前中なら大丈夫かと思い忠海港へ 到着とほぼ同時に8時40分の船が出港してしまった

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忠海港 発音は「ただのーみ」という感じで地元の人は発音する
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湊の燈籠 文化13年(1816)9月建立
ウサギ・兎・うさぎ
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船を待つ間も空模様が気になる
こんなところにもウサギ
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さっきまでいた大三島と「しまなみ海道・多々羅大橋」直線距離で10.8kmだが ここまで70km走ってきた
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9時40分発のフェリーが到着し乗船する 大久野島到着は9時55分 帰り便の予定は大久野島発11時40分
よって島に滞在できる時間は1時間45分となる ウサギと遊んでいるとあまり時間はないかも知れないが
次便は大久野島発が13時48分となってしまう
腰を据えて休暇村でランチを食べればゆっくり出来るが 自宅へはなるべく早く帰りたいと思う

ウサギの餌は島では売ってないので 港の売店で二袋買ったが あとで少なかったと後悔する

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港に船が着くとウサギたちが駆け寄ってくる 人懐っこい
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子ウサギ
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休暇村の第一桟橋 大三島フェリーの朝夕の便と土庄商船の三原・大久野島高速船が発着
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大久野島の燈台 明治27年(1894年)5月初点灯 
現在の燈台は 平成4年(1992)3月に竣工したものであるが 明治の燈台の姿を模した石造である
初代の燈台は 香川県高松市の四国村内に移設された
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遊歩道から見る愛媛県今治市大三島町肥海の松島
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夕日の丘 10時24分 大三島 二反山と肥海峠と三本榎山
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背景は大三島上浦町盛と二反山
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陽もささない曇天の夕日の丘 今にも雨が降りそう 大三島三本榎山・金剛礁・神殿島・松島
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芸予要塞南部照明所跡 地下壕もある
全く読めない説明板
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三軒屋毒ガス貯蔵庫跡
案内説明板
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長浦毒ガス貯蔵庫跡
内部の焦げ跡は 駐留軍により火炎放射器で無毒化のために焼却した跡である
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芸予要塞北部砲台跡全体案内図

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北部砲台跡配置図
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24cmカノン砲台座 4門
島内には北部・中部・南部の3ヶ所に 合計22門の大砲が設置されていた
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地下兵舎跡
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発電所跡
この建物は、大久野島で毒ガスを製造する際(1929年一1945 年)に、電力を供給していた発電場跡です。
当時両方の写真に写っているディーゼル発電機が8基設置され、いずれも重油を燃料にしていました。
また、この建物では1944年11月一1945年4月までの間、「ふ号作戦」に使用する風船爆弾の風船を膨らませ、
弱い部分を補修する作業も行われました。
使用された風船は、動員学徒の女学生が和紙をこんにゃく糊で貼り合わせて作っていました。

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忠海港 11時55分着 自宅まで距離353km
昼食は「道の駅たけはら」で弁当を買って食べ 後は走るだけ 竹原で雨が降り出したので
やはり大久野島を午前中に散策できたのが良かったと思う

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