2015.11.03−05 山陰石見の旅 江津本町散歩

11月3日 自宅−下関住吉神社−山口(昼食)−いちじく温泉(入浴と夕食)−道の駅・掛合の里(泊)
11月4日 掛合の里−三瓶山(中四国の山参照)−物部神社−道の駅・サンピコごうつ(泊)

11月3日 寄り道 山口県下関市一の宮住吉 住吉神社
主祭神は住吉三神 長門国一宮で本殿は国宝に指定される古社である
畿内摂津国(大阪)住吉大社・筑前国(博多)住吉神社とともに日本三大住吉社にあげられる
第一神殿から第五神殿まであり それぞれ祭神は 住吉三神・応神天皇・武内宿禰命・神功皇后・建御名方命
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本殿は南北朝時代の応安3年(1370)に造営されたもの 昭和28年(1953年)国宝に指定された
千鳥破風付き一間社と合の間を一列に連ねた九間社流造で 中央の第三神殿の前に拝殿がある
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拝殿は室町時代の天文8年(1539)に造営された切妻造檜皮葺で 昭和29年(1954)重要文化財に指定

『古事記』によれば 「イザナギ」と「イザナミ」が大八島(北海道を除く本州から男女群島までの島と国)と
「オオワタツミ」「オオヤマツミ」など森羅万象の神々を生んだ しかし「イザナミ」が「カグツチ」を生んだとき
陰(ほと)に大ヤケドを負い黄泉国に旅立つ 「イザナギ」は怒りからその「カグツチ」を殺し比婆山に埋葬する
その後 「イザナミ」に対する拭いがたい未練を持ち続ける「イザナギ」は 黄泉国まで逢いに行くが
蛆にたかられ腐り果てた「イザナミ」の姿を見てしまい その姿に恐れをなして黄泉国から逃げ出してしまう
黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の出口を大岩で塞ぎ「イザナミ」とは絶縁する
黄泉国から帰った「イザナギ」が 穢れ祓いのため
「筑紫の日向の橘の小門(おど)の阿波岐原(あはわきはら)」で禊を行なうと
宗像大神の 底津・中津・上津の綿津見(海神=ワタツミ)三神が生まれ 同時に住吉大神である
底・中・表(ウワ)の筒男(ツツノオノ)が生まれ 最後にアマテラス・ツクヨミ・スサノオの三神が生まれた
アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三神に「イザナギ」は それぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した

『日本書紀』によると 仲哀天皇崩御後 「三韓を征討せよ」との神託を得た神功皇后は
自ら兵を率いて三韓へ出航した このとき 住吉大神の和魂(にぎたま)が神功皇后の身辺を守り
荒魂(あらたま)は風となり 神功皇后の船団を後押しするとともに三韓の軍をおおいに苦しめたとされる
帰途 住吉大神の「我が荒魂を穴門(長門)の山田邑に祀れ」との神託を受け
その場所に祠を建てたのを下関住吉神社の起源としている
畿内摂津国・大阪の住吉大社は和魂(にぎたま)を祀る大津渟中倉長峡の祠に
筑前国(博多)住吉神社は 住吉大神が生まれた筑紫国小門の阿波岐原にそれぞれ比定される

祭礼は 1月:大粥小粥祭・歩射祭 旧暦1月元旦:和布刈祭 5月:御田植祭 7月:虫除祭
9月:秋季大祭 12月1日:河渡祭などがある 特に12月15日の御斎祭(おいみさい)では
12月8日夕刻から15日の朝まで境内に注連縄を張り巡らし一般参拝客の立ち入りを禁じた上
神職も境内の外へ出ないという奇祭である また 和布刈祭での和布刈神事は神功皇后の事跡に因むもので
旧正月の未明に壇の浦の海中からワカメを刈り取り 境内で行われる神前に供える儀式も非公開の祭である
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第二次大戦中に金属供出された狛犬を復元した「青銅製狛犬」 少し頭が「デカ」すぎる
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境内摂社・厳島神社への参道石橋
表千家・光輪会による献茶会で賑わっている
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秋田商会音楽堂基礎
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武内宿禰命お手植えの楠
洞(うろ)の祠

11月4日 寄り道 島根県大田市川合町川合 物部神社
石見国一宮 主祭神:宇麻志摩遅命(うましまじのみこと)
主祭神の「ウマシマジ」は 大和国及び河内国を本拠とした豪族「物部氏」の祖先神で
その父である「ニギハヤヒ」は神武東征以前に大和に降臨したとされている
「物部氏」が奉ずる祖先神は 「アマテラス」とは別系統の神で 出雲神であるとの説も存在する
神武東征後は そのもとに下り大和平定に助力した後 美濃国・越国を平定し 後にこの地に宮居を築き歿した
御神体は背後の八百山で 「ウマシマジ」の墓と伝えられる古墳(御神墓)が山中にある
本殿の創建は継体天皇8年(513)と伝わるが
その後 兵火などで三度消失し 宝暦3年(1753)に再建され 文政元年(1818)の修理を経て
安政3年(1856)宝暦時の再建規模で改修され現在に至る 春日造の本殿では全国一の規模である
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拝殿は 昭和13年(1938)の建立
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PM 4:15 物部神社を後にして今日の宿泊地「道の駅・サンピコごうつ」に向かう

11月5日  江津本町散歩

舟運と海運で栄え、大森銀山に次ぐにぎわい。天領江津本町甍街道
「夢」+「瓦」=「甍」。街道の輝き再び。
中国山地を貫いて流れる大河・江の川が日本海に注ぐその河口に開けた江津は、天領の町です。
町を山陰道が貫き、東は大森銀山、西は浜田へと通じていました。「土床坂」にはその名残をとどめる
石畳や道標が残っています。江津は陸路だけでなく、古くから舟運と海運の要衝として栄え、
江戸時代には北前船の寄港地として、また、天領米の積み出し港として賑わいました。
由緒ある神社や寺も多く、江戸から昭和初期の繁栄ぶりをうかがわせます。
また、赤い石州瓦の生産地でもあり、独特の赤い家並みが続いています。
JR三江線が走る江の川の川岸から町中に向けて、多くの廻船問屋の蔵屋敷が軒を 連ねていました。
その面影を伝える大きな屋敷が廻船業で財を成した「藤田家」です。 古い石州瓦の大屋根に煙だしが付いた
江戸時代の建物です。また、土塀や門の屋根にもうずたかく棟瓦を積んだ「横田家」、
格子が美しい「高原家」「飯田家」などもその繁栄ぶりを物語る建物です。川の縁には荷を運んできた際に
牛馬をつないだ「鼻ぐり石」がずらりと並んでいます。明治の和洋折衷の建物を模した「旧江津 郵便局」は
色ガラスなど各所に洋風デザインを取り入れた異人館の趣きです。郵便局を建てた職人さんは
神戸まで洋館を学びに見に行ったそうで、新しい文化を見事に取り入れた感性や技が光ります。かたや、
「旧江津町役場」は、大正時代の建築で、アールデコ調のレリーフが施された当時最先端のビルディングです。
ここには、昭和47年の災害時の水位を示すプレートが付けられています。今は静かな町ですが、
進取の気鋭に富んだ気質と心意気はしっかりと受け継がれ、 「夢」十「瓦」=「甍街道」と名付け、
賑わいづ くりに取り組んでいます。

夢街道ルネサンス認定地区
夢街道ルネサンスは、歴史や文化を今に伝える中国地方の街道を「夢街道ルネサンス認定地区」として
認定しています。中国地方の豊かな歴史・文化・自然を生かし、地域が主体となって個性ある地域づくりや
連携・交流を進め、地域の活性化を図ります。地域づくりとともに、目的地に向かって移動するだけでない
”楽しみながら巡る”新しい「街道文化」の創出を目指します。

平成15年度認定/島根県江津市/本町地区歴史的建造物を活かしたまちづくり推進協議会
島根県建築士会江津支部:http://www.e-iwami.com/arch-net/gotsu/
夢街道ルネサンス:https://www.cgr.mlit.go.jp/cgkansen/yumekaidou/pc/nintei/8/road_8.html
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拡大:pdfファイル 8.61MB このマップは掲示板案内図で残念ながら配布はされていない

登録有形文化財の旧江津町役場
大正15年(1926)建築 昭和37年に現市庁舎が完成するまで使われ その後 江津市老人福祉センターとなった
現在は江津本町甍街道交流間として使用
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山辺神宮(江津祇園)
山辺神宮参道の路地裏
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登録有形文化財の藤田家住宅(五島屋) 母屋は嘉永6年(1853)建築 江戸時代に銃鉄を扱う回漕業を営む
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横田家住宅(沖田屋)江戸時代初期より回漕業を営む 主屋や門などの棟瓦が非常に高い
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横田家住宅と本町川
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本町川と旧家
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住民の高齢化と共に崩れ行く伝統的建築物 地方に残るのは空地ばかり
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登録有形文化財の旧江津郵便局 木造2階建瓦葺 明治中期の建築仏
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本町川沿いの「鼻ぐり石」 この石は飯田家や横田家に来た荷駄の牛馬を繋いだもの
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左は城構(とがまえ)屋敷跡 酒造業を営む
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城構の土塀
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都野氏の居城があった亀山に明治30年代に建てられた 飯田家の別邸「ニ楽閣(じらっかく)」跡
「江津名所は数々あれど、亀山お城にニ楽閣」と歌われた
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在りし日の「二楽閣」
石段とJR三江線(1930年開業 2018年廃止)
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庭の石灯籠と土塀 そして江津本町の町並
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最上段にある手水石と新江川橋
表門跡

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蔦の絡まる廃屋
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昭和47年7月12日の洪水による水没ライン
北前船も来た「江の川」船着場跡
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推掌セラピー「楽土(やくど)」
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楽土のユニークなペットボトル風車

登録有形文化財の花田医院
診療所及び主屋:木造2階建瓦葺 昭和12年建築 門:鉄筋コンクリート造 木造塀:瓦葺 昭和前期建築
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印象的な「五島屋」藤田家住宅の煙出し屋根
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円覚寺の鏝絵 蝶々に戯れる唐獅子
旧山陰街道
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江の川堤下から見る街道
土床坂(つっとこざか)登り口
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土床坂(つっとこざか)の石畳
江津市指定文化財建造物 土床坂の領界標柱
この標柱は、江津市文化財保護条例第九条第一項の規定により昭和56年1月17日付けをもって
江津市指定文化財に指定されました。この地は、天領(銀山領)と浜田藩の引継地となっており、
たびたび引継ぎの問題が起こりました。現在の江津町(江の川)側には、石畳の街道跡が残ります。
長州軍占領地から山口藩預かりになった慶応4年(1868)閏4月に撤去を命じられましたが、
後に故地へ復元されました。その後、道路改修工事等により数度にわたり若干移動し、
最近では平成25年6月17日、現在地より西1.5メートルの場所から移設しました。
建設時期は不明ですが、幕藩体制下における地方統治の姿を知る資料として重要です。
総高:2.37m(地上:1.6m 地下:0.7m) 幅:22cm 石材:花崗岩
江津市教育委員会(平成25年7月25日設置)
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峠の領界標柱「従是西濱田領」
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江田村の標柱
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