2017.08.13 宮崎市内を散歩する

宮崎県宮崎市佐土原町下田島 宮崎海岸(下田島海岸)

宮崎海岸とは 一ツ瀬川と大淀川の間に位置する約10kmの直線状の砂浜海岸である
元々「宮崎海岸」という呼称はなく それぞれの背後地名を冠した海岸名であるが
行政上まとめて「宮崎海岸」と呼ばれている アオウミガメの産卵区域になっている自然海岸で
また 国内でも有数のサーフスポットとして全国的に名を馳せ 多くのサーファー達が訪れる場所でもある
昭和30年代前半まで 運動会やソフトボール大会も開催されるほど広大な砂浜が存在していたが
高度成長期以降は 潮汐による海浜の侵食が進行し 防潮林間近まで海がせまる状態となっている
行政による対策工事が進められてはいるが 自然環境とのバランスを取った決定的な方策は見出されていない

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国土地理院 空中写真
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20mから40mの海岸侵食が確認されている 以前は砂浜に侵食崖もなく なだらかな砂浜であった
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一ツ葉・西都原自転車道
宮崎県道365号宮崎佐土原西都自転車道線の通称である 一ツ葉有料道路の住吉インターを起点に
佐土原からは旧国鉄妻線跡を利用して 西都市三宅を終点とする22.8kmの自転車道
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KDDI マイク口波通信タワー
KDD宮崎海底線中継所(佐土原町大炊田地区)の『マイクロ波通信タワ ー』で 国際通信のための重要施設
高さ:約90mの鉄筋コンクリート製 自然環境に配慮した 構造・外観を採用したとされる
このマイクロ波通信タワーは 山口県にある同社の衛星通信所 更には東京の国際通信センターとの間で
電波信号を送受信するため 上部に巨大なアンテナが搭載されている
また 同中継所には 世界各地と直結する海底光ファイバーケーブルも収容されている
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防潮林に咲く高砂百合(タカサゴユリ) または新鉄炮百合(シンテッボウユリ)
台湾原産の外来種

宮崎県宮崎市大字大瀬町字平松 瓜生野八幡神社のクスノキ群

昭和26年6月9日指定 国の天然記念物
瓜生野八幡神社は 奈良時代である聖武天皇の御代・天平9年(737)に 宇佐八幡宮の社領であった
瓜生野別府に八幡神が勧請され 以降 諸県郡瓜生野郷の総鎮守社として崇められた

掲示板より転載
この神社の境内には16本のクスノキが群落をなし、うっそうとして閑寂な社相を呈しています。
単木のクスノキの巨樹については数例の国指定がみられますが、巨樹群をなしているのは貴重です。
このクスノキの中で最も大きいものは本殿の右後方にあるもので、目通り幹囲約9.6m、根周り約16m、
樹高約25mに達しています。そのほかは、目通り幹囲7.5mのもの3本 3mから5.5mのもの10本、
3m以下以下のもの2本で、最も高いものは30mを超えています。これらのクスノキ群の由来については
明らかではありませんが、樹齢が800年と推定されているものもあり、
また主幹の内部に大きな空洞を生じているものもあります。
宮崎市教育委員会

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みやざきの巨木百選 No.99
樹木名:クスノキ
樹 齢:800年 幹周:965cm
樹 高:32m
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幹囲約9.6m 樹高約25m 最大のクスノキ
昼でも暗い境内 社殿は全て日陰となる
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宮崎県宮崎市下北方町越ケ迫 平和台公園と平和の塔

明治維新後の皇国史観のもと「紀元2600年記念事業」として宮崎県奉祝会が中心となって
『八紘之基柱』(あめつちのもとはしら)の建設と周辺広場の造成を開始 昭和15年(1940)11月に完成した。
おりしも 日中戦争は膠着状態に陥り終結のめども立たぬまま 翌年には真珠湾の奇襲攻撃で
対米戦争の口火を切り 全ての国民を含む総力戦へと破局の道を突き進むこととなった
敗戦後 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)により 大東亜戦争や八紘一宇などの言葉が国家神道を
連想させるとして 昭和21年(1946)に「八紘一宇」の文字と武人の象徴である荒御魂像(あらみたま)が
取り除かれ 名称も『平和の塔』と改められた しかし 後に都市公園として指定され整備も進められると
これに伴い平和の塔の復元が決定され 昭和37年(1962)に荒御魂像が 昭和40年(1965)には
「八紘一宇」の文字がそれぞれ復元された 現在では「平和の塔」が宮崎県の代表的な観光地の
ひとつとなっているが 「八紘一宇」の文字が掲げられたことや撤去された経緯が
明確な反省を元にした文章として 残され掲げられている訳ではない
過去は語らず 今の平和台公園は 宮崎市民のレクリエーション施設として機能している

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八紘之基柱(あめつちのもとはしら)
現名称は「平和の塔」または「八紘一宇の塔」とも呼ばれる 高さ:36.4m 世界中から集められた切石で構成され
形は御幣を表現し 四隅に高さ4.5mの信楽焼で作られた四魂像が飾られている
これは神道による一霊四魂の思想によるもので 神には四つの魂がありそれらを直霊(なおひ)という霊が
支配コントロールしているという考えで 正面から見て左回りに
奇御魂(くしみたま)・荒御魂(あらみたま)・和御魂(にぎみたま)・幸御魂(さちみたま)が配置されている

八紘とは「八方・全世界」を指す文字で 「天と地=あめつち」の言葉で言い表されていた
故に「あめつちのもとはしら」とは 天地(全宇宙)の中心という意味で「天孫降臨」「神武東征」などの
日本神話に基づいた 世界・全宇宙の中心という意味合いで 宗教的誇大妄想でもある

「世界を一つの家にする」というこのスローガンは 元々「日本書紀」に書かれたとされている
大和橿原に都を定める時 神武天皇が発した日本統一の詔勅「兼六合以開都 掩八紘而為宇」がもとで
その意味は「六合(国内)を兼ねて もって都を開き 八紘(天の下)をおおいて宇(家)となす」である
これを根拠として 宗教家の田中智学が拡大解釈を与え 宗教的な世界統一の原理として
明治36年に造語したものである 田中智学自体は戦争反対主義者で「人類はひとつ世界はみな兄弟」と唱えた
後の右翼の大家・笹川良一と似かよった主張が見られるが 当時としては強力な国体主義者でもあった

その後 昭和15年(1940)の第2次近衛文麿内閣が決定した基本国策要綱の中では
「八紘ヲ一宇トスル肇国ノ大精神」に用いられ 大東亜共栄圏の理念として定着させた言葉である
「八紘一宇」の言葉は 大東亜共栄圏を掲げつつ 第2次世界大戦中に日本の中国や東南アジアへの侵略を
正当化するためのスローガンとして用いられたことは覆い隠せない事実である

近年 中国が唱える「一帯一路」構想に なんとなく大東亜共栄圏の「八紘一宇」と同じニオイを感じるが
「八紘一宇」を擁護する立場では 中国の覇権主義を批判することはできない

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「平和の塔テラス」から 展望所としては低すぎる
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新池と堤で隔てられる越ヶ迫池
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池畔広場
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はにわ園
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宮崎県宮崎市橘通り フェニックス並木

団塊の世代でフェニックスといえば デューク・エイセスが歌った「フェニックス・ハネムーン」で
永六輔作詞 いずみたく作曲の「日本の歌」に収録された宮崎県のご当地ソングである
「君は~♪ 今日から~♪ 妻という名の 僕の恋~♪人 夢を~♪語ろう~♪ ハネ~♪ム~ン♪
フェニックスの木陰~♪ (ふ~ん ふ~ん) 宮崎の二人~♪(ふ~ん ふ~ん)」とこんな感じでしょうか
リリースは 昭和42年(1967)と古いが 今でも宮崎の観光バスガイドの必須として歌い継がれている

日南海岸にフェニックスを植えて「南国宮崎」を演出し 宮崎をハネムーンのメッカにしたのは
宮崎交通の創業者・岩切章太郎である 彼がフェニックスと出会ったのは昭和初期で
県の農業試験場であったと伝わる 数ある説の中では 農業試験場で明治末期から大正初期頃に
農商務省農事試験場九州支場から3鉢を譲り受け天神山の温室で育てたものを路地に定植したという説が
最有力視されている 後に岩切氏がアメリカからフェニックスの種を輸入し 中村園芸場に依頼して苗を作り
昭和11年(1936)から 日南海岸への植栽を始めた 終戦後の高度成長期以降は 瀬戸内航路と合わせて
南国宮崎が手軽に行けるリゾート地として新婚旅行のメッカとなったが 昭和47年(1972)に沖縄が
返還されると 南国のイメージは一挙に南へと移動し 宮崎は新婚旅行の目的地ではなくなった

フェニックスとはギリシャ語で不死鳥のことである
植栽されるフェニックスは ヤシ科のナツメヤシ属の Phoenix で 正式和名を「カナリーヤシ」という
学名は Phoenix canariensis で アフリカ西海岸のカナリア諸島原産なのでこの名がある

日本では東京以南で生育し 陽樹で耐潮性に富むが寒さには弱く「-10℃」が枯死限界である
弓状に下垂する葉先は5mにも達し 樹高は最大で12mと高く 幹周りは3m程度まで生育する
日本では 病害虫に強く寿命が永いので「フェニックス(不死鳥)」と名づけられたといわれている

昭和41年に県木を決める人気投票で オビスギ・クスノキを抑え ダントツの一位で県木に決まった

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大淀川河畔の橘公園
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橘通り(国道220号線)市役所前交差点
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橘通西1丁目 宮崎市民プラザ前の緑地公園
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橘通り東1丁目緑地公園
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橘通り県庁前交差点 県庁並木通り入口

宮崎県宮崎市橘通東 県庁楠並木通り

クスノキ並木は 宮崎県庁舎が完成した翌年の昭和8年(1933)に 旧知事公舎に植えてあった28本のクスノキを
移植したものである 樹齢は およそ130年と推定されている
表示板には 「南国宮崎にふさわしい全国に誇れる緑のコリドール(回廊)です」と記されている

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宮崎県宮崎市橘通東2丁目 宮崎県庁

現役の県庁・本庁舎としては日本で4番目に古い建造物である 昭和7年(1932)10月に2代目県庁舎として
竣工した 設計者は当時神戸在住の置塩章 建築様式は置塩が得意とするネオ・ゴシック建築で
施工業者は 大阪に本社を構える大林組であった 2017年5月2日 県庁舎本館・正門門柱・東門門柱の3か所が
国の登録有形文化財に指定された 2007年・東国原英夫の宮崎県知事就任後は 金曜・土曜の夜間に
県庁ライトアップを実施し 同時に「県庁ツアー」も開始され 観光地としての役割も担っている
2009年9月14日には 見学者が100万人を突破した
宮崎県庁見学ツアー公式サイト:http://miyazaki-ksc.org/mkkt.html

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国の登録有形文化財に指定された正面門柱と本庁舎
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玄関前のフェニックスは2代目
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県庁の東にある「みやざき物産館 KONNE」は 土産物を求める帰省客でごった返していた
時間は午後3時 とても暑い この日 宮崎の最高気温は31.0度 湿度が低いため日陰は涼しいが
アスファルトの上は灼熱地獄で 早々に市内散策をやめて郊外へと逃げ出す
きょうの宿泊予定は 道の駅たからべ(鹿児島県曽於市)ここから70kmの彼方である
途中「かかしの里ゆぽっぽ」で 今日の汗を流すが 盆休みで人が多く脱衣場は混雑

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