2017.03.15 長崎街道脇往還 塩田道 塩田から嬉野

江戸時代から 肥前高来郡天草の富岡や高浜港より積み出された陶石が そのまま塩田川を遡り塩田津で
荷揚げされた 陶石は塩田川沿いの新堀・宮之元・美野熊野・大草野万才・南・ 五代・式浪
下野井手川内・吉田川沿いの納戸料地区などへ河運によって運ばれ 水車で陶土に加工された
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昭和40年頃の塩田港
水車による粉砕は 明治8年(1875)に水車設置の約定証や明治15年(1882)の水車設置承認書などから
遅くとも江戸末期から明治の初めには可動していたと思われる 当時は農家の副業として
農閑期に可動させていたが 昭和20年後半代からは電動モーターの発達や磁器生産が増えるに伴い
陶土製造専用業として発達してきた 塩田港では 昭和40年代中ごろまで陶石が荷揚げされ
検量所では陶石の検量が行われていたが 昭和51年に川港としての役目を終え船での運搬はなくなった
現在ではすべて陸送となり」 大草野五代の肥前陶土工業協同組合の敷地内に検量所が移された
長崎街道の脇往還である塩田道は この陶石業が並ぶ町を縫うように 塩田川の岸辺を式波まで通る
長崎街道脇往還 塩田道
参考:佐賀県立図書館/古地図絵図データーベース
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江戸時代末期の藤津郡塩田郷絵図
1.塩田津川湊・御蔵浜 2.塩田宿・札の辻 3.天満神社 4.鹿島道追分 5.鹿島道
6.塩田津最古の寺・真言宗 教王山 常在寺 7.丹生神社・塩田川沿い丹生神社の本宮 8.下宮 9.美野渡し
塩田宿から嬉野下宿の追分まで
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かしま道追分 嬉野市役所東交差点
旧長崎街道
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丹生神社
祭神は 罔象女神(ミズハノメノカミ)で代表的な水の神(水神)である
馬場下宮ノ元にある丹生神社は 塩田川沿いにある丹生神社の総本社で 仁明天皇承和2年(835)に
肥前国塩田郷に紀伊国高野山の丹生神社を勧請し 馬場主殿を神主として今日迄至る古社
嘗ては 藤津郡の宗廟として 朝廷の尊崇深く塩田川流域の住民の信仰を厚くした
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街道は交差点の南を斜めに横切る
大師堂 街道横にあった位置は昔のまま
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ポンプ小屋と水神様
今川橋の下流が美野の渡し場跡
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嬉野市塩田町大字五町田乙 旧美野村谷
道標と大師堂のある美野の追分
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東・正面 向塩田行
北・右面 向嬉野行
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道標と街道 南・面 向古田山越
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嬉野市塩田町大字五町田乙 旧美野村谷
旧美野分教場 佐賀県遺産 第2007−1号
旧美野分教場は、五町田尋常高 等小学校の分教場として昭和3年に建設された。
建設には美野の国有林を払い下げて用材を確保し、美野の大工31名が携わった。
地区では分教場の裏山を「学校山」と呼び、地域に密着した教育施設であった。
豊かな自然の中に建つ分校の遺構として大銀杏や熊野権現神社とともに良好な景観を形成している。
佐賀県遺産会議
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熊野権現社
美野村熊野の六地蔵塔
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新道合流地点 旧街道は左へ
旧街道
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橋山下溜池 昭和18年建造
古絵図では 現在の池の奥を通る
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佐賀県道28号嬉野塩田線のある塩田川対岸 塩田町大字大草野の集落
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橋山峠茶屋跡から丘上の塞神社を見る
嬉野市塩田町大字大草野南下 祠宮
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大草野丹生神社鳥居
大草野南上 地蔵堂
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地蔵堂の前から塩田側
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塩田川右岸の街道
掲示板「塩田川流域の陶土業」
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式南橋(しきなみはし)
嬉野町大字下野字式浪
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旧街道は直進
旧街道は市道を横切り直進
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丘の上 茶畑内の旧街道
国道34号線に出る
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嬉野町大字下宿字今寺 東向き塩田側撮影
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嬉野側撮影
追分の道標 柄崎武雄宿/塩田宿
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下宿の追分 左・柄崎武雄宿 右・塩田道塩田宿
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