若狭街道(鯖街道)

若狭は 古代に若狭国造が置かれ 701年の大宝律令で若狭国となり遠敷(おにゅう)と三方の2郡が
置かれたが 天長2年(825)遠敷郡の西部が大飯郡として分立させられ3郡となった
古代より朝廷の御食国(みけつくに)とされ 律令下の租庸調では塩を納めるよう定められた
8世紀頃には 若狭の製塩が盛んとなり その他の海産物を含め 奈良時代までは琵琶湖の水運を利用し
供給されたが 平安時代以降は 日本海で獲れる魚介類は陸路によって遠路はるばる都へ運ばれた
江戸時代中期の18世紀後半からは 若狭で塩漬けにされた大量の鯖が陸路で京へ運ばれるようになった
塩漬けされた鯖が京に着く頃には丁度よい良い塩加減となるため いまでは「鯖街道」と呼ばれている
小浜から京に至る往還は幾筋か存在しており なかでも 小浜から西南に中井村から久坂村に向かい
八ヶ峰西の知井坂を越えて なおも深見・井戸・茶呑などの峠を経て雲ヶ畑村に至り
最後となる京見峠を越えて洛中に下る道筋が古道といわれ「小浜街道(図の1)」と呼ばれている
また小浜から今津へ抜け琵琶湖の水運を利用し大津から京へと向かう古代のルート(図の3)や
高浜から南下し下弓削で小浜街道と合流する「西の鯖街道(図の5)」と呼ばれる道もあった
img
1.最も古い「小浜街道」 2.鯖街道(若狭街道) 3.若狭街道・今津道 4.鞍馬街道 5.西の鯖街道
img
標高グラフ  古小浜街道  鞍馬街道  鯖街道(若狭街道)
  当初は 最短ルートの鞍馬へ抜ける街道(図の4)が頻繁に使われたが 険しくまた難所も数あり
冬季には遭難者も多く出たため 後に小浜から上中町の日笠までを丹後街道を 日笠からは若狭街道の
熊川宿を経て水坂峠を越え 保坂追分から朽木街道に入り大原八瀬を経て京に至る道(図の2)が使われた
朽木街道は京都北部大原の山々に源を発し 近江で琵琶湖に流れ込む安曇川沿いに開かれた古い間道で
保坂から京までほぼ直線的で琵琶湖の西岸をたどるよりも近く 室町幕府・信長・秀吉・徳川幕府など
時の権力とは決して対峙しなかった朽木氏の庇護もあり 比較的治安も良かったと思われる
また大原からは 京へと下る「大原女」と呼ばれる行商人が日常的に利用していた道でもある
小浜から四条烏丸まで 約80kmの道程を夜を徹して歩いたと言われ 早朝水揚げされた鯖に塩を振り
出発し途中に休憩を入れても約20時間後の翌朝早く洛中に到達し ほぼ一昼夜塩〆された鯖が手に入った
いつしか「京は遠ても十八里」などと言われるほど頻繁に塩鯖の運搬に利用された
鯖街道ルート
TOP