2013.05.15 若狭街道(鯖街道) 熊川宿

熊川宿は 若狭国遠敷郡(おにゅうぐん)熊川村に有り 江戸時代を通じ小浜藩領であった
「おにゅう」の読みは 7世紀後半の飛鳥時代に評(こおり=郡)制の小丹生(おにゅう)評が置かれ
和銅6年(713)の好字二字令により「おにゅう」に「遠敷」の字が宛てられたことが由来となっている
鎌倉時代より代々若狭国熊川を領有していた若狭沼田氏が 室町時代の永禄年間(1558〜)に城を築き
 その城下町として発展したが 永禄12年(1569)に若狭武田氏の配下・松宮玄蕃允に攻められ
沼田一族は近江国へ敗退 その後 天正元年(1573)越前朝倉氏が織田信長との戦で滅亡し
若狭国は丹羽長秀の支配となった 熊川城は天正12年(1584)頃 丹羽氏によって破却された
後に豊臣秀吉に重用され若狭領主となった浅野長政が 天正17年(1589)に諸役免除し宿場町とした
関ヶ原の戦い後 戦功により近江大津6万石の大津城主であった京極高次に若狭一国が与えられ
若狭小浜8万5千石で小浜藩が立てられた 高次は室町時代に築かれた後瀬山(のちせやま)城を廃し
後瀬山の北東部にある海と川及び湿地に囲まれた平地に築城を開始した 大坂の陣以後は
越前敦賀郡全域を加増され石高は11万3千石になったが 寛永11年(1634)に松江藩へ加増転封となり
小浜には武蔵・川越藩の酒井忠勝が 若狭・越前敦賀郡・近江・安房の合計11万3千5百石で入封した
その後 小浜酒井家の所領は10万3千5百石に減小したが 明治まで酒井家の支配が続いた
明治4年(1871)廃藩置県で小浜県となり 同年内に敦賀県となり 明治9年(1876)に滋賀県に編入
明治14年(1881)に福井県に編入され現在に至る 江戸時代を通じ諸役免除の政策を受け継がれ
小浜と近江今津のほぼ中間に位置し 近江との国境に近い要所・若狭街道随一の宿場町として繁栄した
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近代は交通体系の変化に取り残され 街道は衰退し現在の戸数は
最盛期であった江戸中期の約半数となった そのため再開発されることなく古い町並みが残る
平成8年(1996)に重要伝統的建造物群保存地区として選定された
旧街道の約1.1kmの間に 平入と妻入の町家が混じって建ち並び 下ノ町と中ノ町の間には
「まがり」という街道宿特有の枡形道がある 中ノ町は奉行所・蔵奉行所・問屋や社寺が並ぶ中心部で
前後の下ノ町と上ノ町に茶店・旅籠などが多く 国境に近い宿場の京方には番所が設けられていた
峠に近く山に挟まれた地に 北西方向に開かれた熊川宿は 冬の季節風によって度々大火に見舞われた
それが為に家屋敷に身代を掛けてはならないという法則があり 大きな家屋はあまり存在しないという
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宿場内を流れる前川
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菱屋(勢馬清兵衛家)
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旧辺見勘兵衛家前
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旧辺見勘兵衛家
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旧辺見勘兵衛家
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熊川宿 白石神社
福井県小浜市下根来「鵜の瀬」の傍らに若狭国一宮・若狭彦神社の元宮とされる小さな白岩宮がある
「鵜の瀬」は奈良二月堂若狭井の水源地として伝わり 若狭比古神が最初に降臨した地とされる
 この白石元宮を分霊し祀ったのが当社である
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街道の白石神社鳥居
時計はカシオの電波時計
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松木神社鳥居と松木庄左衛門の銅像
小浜藩主となった京極高次は 室町時代に築城された後瀬山城を廃し小浜城の築城を始めたため
藩の財政が窮し年貢の増収を図った 大豆納の年貢1俵の基準を1俵あたり4斗から4斗5升に増やされた
築城の労役に駆り出されたこともあり農民の生活は困窮し 大豆納の年貢徴収を戻すように要求したが
藩はこれを拒絶し受け入れなかった 寛永11年(1634)に京極家は松江に移封となり
替わって酒井忠勝が藩主となったが 引き続きこの重い税制を維持したため領民の不満は高まった
寛永17年(1640)に入り若狭国内252ヶ村の名主が集まり郡代官所に陳情を行うこととなり
同年16歳で庄屋の地位を継ぎ名主となったばかりの庄左衛門の他20名を総代として陳情を行った
以降 数十回にもわたって直訴を繰り返したため 承応元年(1652)に総代全員が捕らえられ
獄中で厳しい拷問を受け他の総代が脱落する中 最後には庄左衛門ひとりなったが
なおも大豆納の引き下げを獄中で求めた この騒動は 小浜藩領承応元年一揆として公になりつつあり
改易を恐れた酒井家はやむなく大豆納を元の4斗に戻すことに応じたが
藩の面目を保つため庄左衛門を日笠河原で磔にした 28歳となっていた彼はその短い生涯を閉ざされた
遺骸は日笠河原に近い正明寺に葬られた 以後 領民は大豆の初穂を墓前に供えて彼の重恩に感謝した
昭和8年(1933)に 彼松木庄左衛門を祭神とする松木神社が建立された
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中ノ町と下ノ町の間にある曲がり(枡形道)
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下ノ町
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下ノ町
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下ノ町
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倉見屋荻野家住宅
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今も営業する衣料品店
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煙草看板
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宿場館 昭和15年建設の旧村役場
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