2013.05.13 滋賀県大津市坂本 坂本の石垣と石橋

坂本は 延暦寺および日吉大社の門前町として古くから栄えた町である
日吉大社参道の両側には比叡山の隠居した僧侶が住む里坊が並び 穴太衆積みと呼ばれる石垣が街路を形成する
戦国時代には三好長慶に敗れた室町幕府12代将軍足利義晴・13代将軍足利義輝と細川晴元らが都落ちして
この地に逃れ 安土桃山時代には明智光秀により坂本城が築城された 本能寺において信長暗殺後 山崎の戦に
敗れた明智秀満が自ら城に火を放った 遡って織田信長による延暦寺・日吉大社の焼き討ちにより疲弊した町は
秀吉の天下平定後の天正10年(1582)に日吉社も再建の勅許を得 天正12年(1584)は延暦寺再興が許可された
徳川家康も両社寺の復興に力を注ぎ 城が大津に移った後も 坂本は再び往時のような延暦寺・日吉社の
門前町として再建することになったが もはや往時の繁栄が再び戻ることはなかった 江戸期幕末の坂本の人口は
中世の最盛期人口の20%程度であった 時代は明治となり 明治元年(1868)の神仏分離令により 延暦寺と
日吉社は分離され 廃仏殿釈の騒乱により少なからぬ被害を被る 昭和26年(1951)大津市に編入合併される
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比叡山高校の生徒達
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穴太衆積みの石垣
石組の湧水井戸
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里坊前の石橋
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日吉大社の門前町に並ぶ石橋群
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