2013.05.13 滋賀県大津市坂本5-1 日吉大社大宮橋

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かつては「日吉」を「ひえ」と読んだが 第二次大戦後は「ひよし」を正式な読みとしている
「ひえ」は 現在の「比叡山」を「日枝の山」と呼ぶことから名付けられたとされる 全国約3800社の
日吉・日枝・山王神社の総本宮である また明治以前の神仏習合では 山王権現と称されていた
八王子山頂に磐座があり これが元々の信仰の地であったと思われ 現在は磐座を挟んで牛尾神社・三宮神社の
奥宮があり 現在の東本宮は崇神天皇7年に牛尾神社の里宮として創祀されたものと伝えられる 三宮神社の里宮は
樹下神社である 今の社殿は二社の本宮と 五社の摂社から成り 日吉七社・山王七社と呼ばれる
西本宮:大己貴神(大宮)近江京遷都の翌668年 天智天皇により大津京鎮護のため大和国の大神神社の神を勧請
東本宮:大山咋神 比叡山を御神体とする古代神であろう 他に宇佐宮・白山宮がある
平安京遷都(794年)後 この地が京の表鬼門に当たることから 鬼門除け・災難除けの社として崇敬される
最澄が比叡山上に延暦寺を建立し 天台宗・延暦寺の守護神として崇敬し 中国の天台宗本山・天台山国清寺で
祀られていた山王元弼真君にならい「山王権現」と称した 延暦寺においては 山王権現に対する信仰と
天台宗の教えを習合し「山王神道」を説き 室町時代に比叡の僧兵が強訴のために担ぎ出したみこしは
日吉大社のものであった 天台宗が全国に広がると日吉社も全国に勧請・創建される 一方 織田信長の
比叡山焼き討ちの際には日吉大社も灰燼に帰することとなった 信長の死後 豊臣秀吉は復興に尽力した
これは 秀吉の幼名を「日吉丸」といい あだ名が「猿」であることから 日吉社を特別な神社と考えたためと
言われ よって現在見られる建造物は安土桃山時代以降に再建されたものである

日吉大社・日吉三橋
三橋ともに 大正6年(1917)8月重要文化財に指定されている
日吉大社境内を流れる大宮川に架かる石造反橋の 大宮橋・走井橋・二宮橋は総称して日吉三橋と呼ぶ
三橋は 豊臣秀吉が寄進したと伝わり 創建は桃山時代(1573年〜1592年)と伝わる 創建時は木造であったが
寛文9年(1669)に改築され石造橋となった
大宮橋は西本宮に向かう 参道に架かり 川中に12本の円柱の橋脚をたて 貫で繋ぎ その上に三列の桁をおき
桁上に継ぎ材をならべて 石の橋板を渡している 橋板両端には格狭間(こうざま)を彫り抜いた高欄が取り付く
木造橋の形式をそのまま用いて造られた雄大な石橋で 三橋のうち最も手が込んでおり 代表的な石造桁橋である
石材:花崗岩 橋長:13.9m 橋幅:5.0m
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日吉三橋の内 大宮橋 下流に向かって走井橋・二宮橋が架かる
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下流に走井橋が架かる
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車は旧竹林院に停めることができた 夕方5時を過ぎていたので 入苑協賛料の300円は要らないと言われ
その上境内散策中にパンフレットをわざわざ持参していただいた 思わず静かな時間を過ごすことが出来た
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