2010.07.09 佐賀県白石町辺田(へだ) 稲佐宮参道(旧)本地院ノ橋

稲佐山泰平寺・配置 ●は現存
御宝殿
拝 殿
仁王門  鐘楼
太子堂・遍照殿
大全坊
●座主坊
吉蔵坊
光全坊
妙高坊
宝幢坊
本地院
観智院・宮司坊
遍照院
観音院●
宝蔵坊
玉泉坊●
普門坊
宝王院
別当坊

稲佐十六坊の跡
稲佐神社参道の石段両側には かつて片側八坊ずつ合計十六坊の真言宗寺院があった 現存しているのは玉泉坊・観音院・座主坊の三ヶ寺のみである 稲佐十六坊の創建については 今から1200年の昔 平城天皇の大同2年(807)に空海(弘法大師)が この肥前の地に足を運ばれたと伝えられている
 大師は天皇の勅許を賜り 元横平山にあった一小社をこの地に移し鎮守大明神として崇め 一山を総称して稲佐泰平寺と名付けた 併せて百済の聖明王の子阿佐太子がこの地に来たという伝承から 一緒に祀られている 稲佐泰平寺は享保5年(1720)の火災でほとんど焼失したが 十六坊の近郊にあった宝珠院の住職恵眼比丘が享保9年(1724)に復興したと伝えられている
 また恵眼比丘が再建したといわれる講堂(通称大師堂)が参道を登り詰めた左側の大徳坊跡に建っており ここでは稲佐十六坊寺院の僧侶が一同に集い講演説教や修行の場とし 弘法大師の祭典を行っていた 当時の隆盛を偲ぶことはできないが 神仏習合時代から真言密教の道場として人々の家内安全と 無病息災を祈願し 今なお密教の法灯を守り続けている 白石町教育委員会

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本地院跡は参拝者駐車場になっている
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