2010.10.22  奈良市登大路町(のぼりおおじちょう)  興福寺境内の石橋

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藤原氏の氏寺である興福寺(コウフクジ)は 法相宗の大本山の寺院で 南都七大寺の一つに数えられる
和銅3年(710)の平城遷都に際し 鎌足の子・藤原不比等が藤原京にあった厩坂寺を
平城京左京の地に移し 興福寺と名付けたのがはじまりである
明治元年(1868)に発令された神仏分離令により 全国的に起こった廃仏毀釈の嵐に巻きこまれ
春日大社と神仏混淆の信仰が行われていた興福寺は直接的打撃を受けた
子院は全て廃止され 寺領は没収 僧侶は春日大社の神職とされ 境内は全て塀が取り払われ
奈良公園の一部となって樹木が植えられてしまった
財政的破綻を承け 廃寺同然となり 仏像は破壊され薪となり 五重塔・三重塔さえ売却されようとした
辛うじて売却を免れたのは 解体費用が予想外の高額であったからと伝えられているが定かではない
明治14年(1881)ようやく興福寺の再興が許可され 明治30年(1897)古社寺保存法の公布により
諸堂塔も修理が行われ 徐々に寺観が整備されて現代に至る
現在興福寺に塀が無く公園の中に寺院がある状態は この廃仏毀釈のすさまじい傷跡なのである
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境内参道脇の石橋
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南大門跡の石橋
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