2011.10.09  宮崎県えびの市末永白鳥  白鳥神社参道橋

<地図>
主祭神:日本武尊(ヤマトタケルノミコト)
全国に展開する日本武尊を祭神とする白鳥神社のひとつ
平安後期の天徳3年(959)天台宗の僧「性空上人」が 霧島六観音御池の畔で修行していた時に
日本武尊の化身である白鳥が現われ神宣により 白鳥権現社を建立したとつたわる
応永10年(1403)現在地に社殿を遷し再建 文化6年(1809)火災によって消失 再建され現在に至る
imgimg
img
img
img
img
東大寺の赤松梁
東大寺大仏殿の大屋根(大仏8体分=3020ton)を支える虹梁は元禄16年(1703)この白鳥神社より伐出された
樹齢2千年を超える大木は樹高54m 切り倒すと裂ける恐れがあることから根の周囲を掘って倒す方法が採られる
元禄16年(1703)9月19日にまず1本目の掘削が始められ 90人が作業にあたり22日に掘り倒された
9月23日から2本目の掘削が始められ 100人がかりで9月25日に掘り倒される
倒された大木からそれぞれ虹梁材が切り出され 衝撃で裂けないよう両端に金属の輪がはめられた
1本目は長さ13間(23.6m)元口4尺3寸(1.3m)末口3尺3寸7分5厘(1.0m)重量6183貫(23.2ton)
2本目は長さ13間(23.6m)元口4尺1寸(1.2m)末口3尺7寸5分(1.1m)重量5435貫(20.4ton)であった
代金は一本2千両が支払われた 白鳥神社から海岸までは起伏のある道を66km(16里半)運搬する必要があった
宝永元年(1704)1月7日に白鳥神社を出発 えびの市加久藤に下ろされ 吉松・栗野・横川・隼人を経て
天降川河口・新川口まで運ばれた 途中様々な場所で迂回を余儀なくされ 90km(23里)の行程となった
延べ10万人工と牛4千頭を使役し115日をかけ5月4日にようやく新川口に到着した 2本の虹梁材は筏に組まれ
鹿児島湾を6艘の船に引かれ3日間をかけて鹿児島津(鹿児島港)に到着した 鹿児島から畿内までの海洋航路は
船に乗せる必要があったが 手を挙げる海運商がいなかった そのような状況の中 志布志の山下弥五郎が
観音様のお告げを受けたとして 米運搬と同一運賃で畿内までの輸送を買って出る 弥五郎は2本の大木を
船に乗せるために船を沈める方法を用いた 6月11日に船底の栓を抜いて船を沈め 翌12日の満潮時に
2本の虹梁材を船の上に配置した 干潮になるのを待って船底の栓を戻し 船の中から水をくみ出すことで
虹梁材の積載に成功 この方法は弥五郎の娘が夢で観音様から教えられたと伝えられている 2本の虹梁材と
24名の水夫を乗せた観音丸は 6月20日に鹿児島津を出発 風待ちのため山川港寄港 7月5日深夜に出港
7月12日兵庫津(神戸港)に到着した 虹梁材を船から降ろす際にも船を沈める方法が用いられ
兵庫津から4艘の船に引かれて7月16日に大阪の伝法川河口に到着 大阪からは船で虹梁材を挟み 淀川と
木津川をさかのぼった 延べ4625人が川岸から綱で船を引く作業に出役し 8月10日 木津に到着
8月19日木津でそれぞれ2基の台車に乗せられ 東大寺までは市坂・奈良阪を越える陸路を
延べ1万7千人の人手により運搬され 1本目は9月2日 2本目は9月5日に東大寺に搬入された
宝禄6年(1709)東大寺大仏殿の落慶法要後も 白鳥赤松は現在も東大寺際仏殿を支え続けている
 TOP