2011.10.06  宮崎県えびの市大河平(オオコウビラ)  享保水路太鼓橋

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国登録有形文化財 享保水路太鼓橋  登録日 平成16年3月4日
太鼓橋は、享保水路の途中にある有島川を越えさせるための石橋で、橋の中央を幅1.6mの水路が通り、
両側に幅西3.5m 東4.5mの農道がついている。この橋ができる以前は、約200mほど上流を
木桶で通水していたらしいが、もっと多量の通水を可能にするために、この橋が造られたという。
二重積みアーチ型で、橋の壁石は、勾配をつけて積み上げられていて、しかも、勾配の途中で段差がつけられていて、
珍しい型とされている。建造年月日は不明であるが、「忠義公資料」に「此溝筋ヲ今三四尺程モ相弘メ・・・・
本陣原堀続キ、中途太鼓橋一ヶ所ヲ架シ、谷合ヲ越シ、溝二仕建(此橋凡長十四・五間位)候得バ・・・」とあり、
一方、「西諸懸郡誌」によると、明治3年に鹿児島藩は飯野卸蔵米全部を支出して大修繕を加え・・・とあり、
市来正右衛門(市来四郎)の建議後四年にして架橋が実現したとみるのが妥当である。
 大正八年の「飯野村村治要綱」の中で、クルソン山端山寺の古文書「開田恩賞の墨付」について、
水路成功の恩賞たるを知るべし・・・とあり、さらに、明治三年薩藩は飯野卸蔵米全部を支出して大修繕を加えたり、
大河平太鼓橋の如き就中大工事なりき・・・・。と記されている。
えびの市教育委員会
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享保用水路の歴史
本用水路は、川内川上流(旧飯野村大河平通称飯野フランス山上流約200m)に井堰を設け、飯野平野一帯の
水田を潤す水路として、享保17年4月(1732)に完成しました。伝説によれば、瑞山寺のある僧が水利計画を思い立ち、
村民の総意を得て、私財を投じ、工事は実行にうつされたそうであリます。総延長6800m、幅2.1mの工事は、
途中隊道が5ヶ所もあリ、当時は測量器具もなく、夜に提灯をあちこちに置いて土地の高低を測リ、
大変な苦労をして造ったと言われています。その後災害を受けたリ、古くなつたため、昭和7〜10年と
昭和54年〜60年にかけて、井堰と用水路の大改修が行われました。この水路の運ぶ水のおかげで、現在でも、
「えびの米」で有名な米を中心にさまざまな作物が作られ、地域の発展に大きく役立つています。
享保用水路の概要
1.水路延長 6800m 2.水路幅 2.1m 3.水路の深さ 1.0m 4.受益面積 150.0ha
太鼓橋の歴史
太鼓橋は 110×50×50cmの石を積み上けた用水路兼農道専用の橋で、 この地に江戸末期(1850年頃)
構築されたと言われています。 それ以前は大雨のたび、有島川を横断する水路が流失していました。しかし、
この橋を設けてからは、その心配もなく、現在でも飯野平野を潤す享保用水路の重要な一部を担つています。
制作者:えびの市耕地課・宮崎県農村建設課
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