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2011.10.06  宮崎県えびの市原田  靉靆橋(あいたいばし)

<地図>
靉靆橋とは眼鏡橋のことである
靉靆橋
掲示板より 国登録有形文化財 登録日 平成16年3月4日
この橋は、「日向地誌」によると、佐山坂靉謎「人吉街道二属ス石ヲ畳テ小溝上ニ架ス 享保十四年己酉
新田溝ヲ開キシ時 鹿児島藩費ニテ築成セシ所ナリ 長七間 幅四間 新田溝其上二通ス」とあり、
享保水道開通(享保17年:西暦1732年)以前にこの橋が完成していたことがわかる。
重要な街道上に位置し、しかも、多量の藩の蔵米を得られる広い飯野地区の開田のための用水路を通すとあっては、
藩費を使つてでも立派な石橋を建造したことも頷ける。二重積みアーチ型で、橋下の川底にも切り石が敷き詰めれて、
川底の下がるのを防いでいる。この橋は、下幅が12.0mで大体直立型の橋であるが、上部は一部崩壊しているので
正確な数値は不明である。現況では、橋の東側寄りに幅2.0mの水路が通り、西側に幅6.2mの市道が、
東側に幅2.2mの土手がついている。   えびの市教育委員会
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広辞苑より あい‐たい【靉靆】(現代中国語:ai-dai 和古語:靉靆く-たなびく)
1.雲の盛んなさま また暗いさま 2.眼鏡のこと「めがねを靉靆と云留青日札(中国:1573年)と云書に見えたり
又眼鏡と云 四十歳以後は早くめがねをかけて眼力を養ふべし」(養生訓・第五巻「五官」引用)
養生訓とは:江戸中期の教訓書全8巻 貝原益軒著 正徳3年(1713)成立 和漢の事跡と体験に基づき
心身の健康と長寿を保つ養生法を通俗的に記したもの

東京銀座 岩崎眼鏡店HP(http://www.iwasakimegane.jp/index.html)より抜粋編集
中国で眼鏡の古語は靉靆ですが(中略)中国に眼鏡が初めて現れたのが 何年かということを文献で確かめて
みますと それは 宋より遥か後の明であり 一般には宣徳年間(1426〜35)だとされて居ります
明時代には眼鏡が極めて貴重であり(中略)裘開明氏の研究によれば 明の前には中国語で眼鏡を指す語がなく
明になって眼鏡を意味する語が 靉靆・靉?・?逮・矮納という様に 類似音で幾つも現れたことから
外国語の音訳で靉靆の語が生まれたものと考えられ その源の外国語としては当時マラッカ経由で
中国に眼鏡をもたらしたアラブ人の 眼鏡を指す語「ウエイナート」が推定されて居ります
眼鏡が日本に伝わったのは 室町時代後奈良天皇の御代(1526〜57)で その記録としては
聖フランシスコ・ザビエルが布教の便宜を得るため 大内義隆に贈った品物十三点の中に明記されて居ります
(中略)18世紀の元禄期以降になると 眼鏡は眼に合わせて使用すべきものだということが よく理解されて居り
然も眼鏡を失ってしまうと それを又もとめるのはなかなか容易でなかった様子が推察出来ます
眼鏡が普及したのは明治期になってからです
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川底の切石敷き
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