2009.11.19  福岡県うきは市吉井町〜吉井町清瀬  走り井石橋群

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堀田の井戸 (ここから石橋巡り始まります)
中世の終わり頃、群雄割拠して戦に明け暮れたこの一帯の武士たちも、天下統一された近世に入ると
その多くは帰農しましたが、一部は封建の新時代に向かって、近在の商才ある庶民に混じり、
所請「在郷町」建設に、その財力や技術を活用してゆきます。 その結果郡の中心としてこの吉井町は、
約四百年前にほぼ町の機能を整えていました。
往還と呼ばれた道路や、橋・溝・船着き場・駅馬・建場・高札場・会所・御茶屋・構と云い慣わした大門、
それに井戸も町には必須のものでした。 この『堀田の井戸』も、「岩井の井戸」と並んで、
吉井の名の起こりと云われる程の銘水。 近辺住民の生活用水は無論のこと、遠来の旅人や
行き交う牛馬にも差別なく喜ぱれた井戸で、古来枯れたことがないそうです。
又この地は以前、吉井町の東の入口に当たった所で、すぐ北側に明け六つ・暮れ六つには開閉した
大門が建っていました。 また井戸のすぐ脇を流れる水路は、吉井の「走り井」のひとつ、
お陰で水勝手だけでなく、火事まで減ったと重宝され、いずれも長く人々に愛され親しまれて、
吉井町の四季の情緒と風物詩を育んでくれた、大切な先人の遺産です。
幕末の歌人大隈言道 吉井にて詠める歌
いくはなるよしゐの里のはしり井の はしりてやまぬ水のすゞしさ
うきは市教育委員会
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堀田の井戸 戎の裏に一枚石の橋
国道に背を向け上流へと辿る
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片側の欄干が残る橋
石橋であることを確認
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道に腹這いになって下を撮る
水辺に多い祠
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駐車場の片隅に石橋
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このあたりから上流は用水路に鯉が泳ぐ
路地の入り口に石橋
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「守ろう鯉と清流」 このあたり観光客はいない
水辺の洗い場
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路地裏の石橋
ブロック塀の位置が変り今は用無し
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用水路は曲がる
いろんな石を使ってます
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分水路です
まだまだ奥まで続きますが キリがありません
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柿の木が多いです
町はずれは寂しいところ
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取水口の近く 最後の石橋かと思いましたが
これが最後でした 水路は田の中へ
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