2010.05.05  福岡県うきは市浮羽町流川字徳正  大生寺 境内四ノ橋 

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臨済宗妙心寺派 五葉山大生寺    本尊は釈迦牟尼仏
延暦元年(782)の開山と伝えられる 寺伝によれば 寺歴が明確になるのは南北朝時で
無着妙融禅師が曹洞宗寺院として再興してからである
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「大雄寶殿」
うきは市指定文化財第18号 平成8年6月27日指定
この大雄寶殿(だいゆうほうでん)は 貞亨4年(1687)に博多の名刹聖福寺より移築されたもので
320年以上を経た風雪にも耐え いまだ法統を今日に伝えている 建築様式は 五間半四方(約98u)の
瓦葺二層建てで豪壮な仏殿である 本殿の本尊は薬師如来で その歴史は古く
天平3年(731)行基法師(日本初の大僧正・聖武天皇より大菩薩の戒を受けた高僧)在任中の作と
伝えられている なお 本殿内に安置されている賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)木像は
国内三体の一体といわれ 奇瑞多く 当時 九州各地より多くの参拝者をあつめていたと謂われている
また同じ本殿の十二神将は 永禄・天正の戦乱で焼失後 天和2年(1682)頃再現したもので
京都四条下町東洞院の 長慶なる仏師の作と伝えられている ちなみに 十二神将とは
薬師如来の十二眷族(親族)を指し 十二支に配当され 本地として弥勒・大勢至・阿弥陀・観世音・
摩利支・虚空蔵・地蔵・文殊・薬師・普賢・金剛手・釈迦などを称している
本殿正面「大雄寶殿」の額は、名僧即非の筆蹟である
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大雄寶殿前の一枚岩橋
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