大分交通耶馬渓線後 耶馬渓「メイプルサイクルライン」自転車専用道
2007.10.14/2014.10.04/2015.04.25/2016.10.15

耶馬渓町の耶馬渓平田駅跡から耶馬渓線中津駅跡まで
中津市耶馬渓町大字平田は山国川の左岸(北側)にあり 江戸時代には中津藩領の下毛郡平田村であった
幕末時点で下毛郡には 西国筋郡代21村と旗本領3村の幕府領24ヶ村 中津藩領74ヶ村の98ヶ村があった
村内には一般の武士や町人が利用する中津藩道(日田往還)があり
対岸にある西国筋郡代が治める幕府領の戸原村には西国郡代及び幕府の要人が利用する代官道があった
遡る鎌倉時代初期の建久年間に 長岩城を居城とした野仲重房によって出城として平田の崖地の高台に
白米城とよばれる城館が築かれた 天正16年(1588)中津城の黒田孝高が長岩城の野仲鎮兼を攻め滅し
その領地の内六千石を重臣の栗山利安に与えた 利安は白米城を平田城と名を改め居城とし
石垣などが整備された 江戸時代に入り細川忠興が39万9千石で中津城に入封し中津藩が立藩され
中津藩領となった その後幕府の一国一城令によって平田城は廃城となった
明治22年(1889)の町村制で戸原・冠石野・平田・多志田・三尾母・小友田・福土・柿坂の8村が合併し
城井村が発足し役場が平田村の宮馬場に置かれた 大正14年(1925)耶馬溪村に改称した
昭和28年(1953)津民・山移・下郷の3村が合併による中耶馬溪村に編入された後
中耶馬溪村を耶馬溪村に改称 昭和29年(1954)深耶馬溪村を編入し
昭和40年(1965)に町制施行で耶馬溪町となった 平成17年(2005)中津市に編入 下毛郡は消滅した
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耶馬溪平田駅口 商店らしき建物が残る
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国の登録有形文化財 平田家住宅
馬溪橋の近くにある平田家住宅は三階建ての木造住宅で 入母屋造 本瓦葺で東面に建ち 北半分を土間
南半分を四列に部屋を配す大規模な主屋で 床・棚・付書院を備えた奥座敷や唐破風の表玄関など
格式の高い建築物である 三階は広縁を廻らし三方に全く壁の無い眺望を意識した造りとしている
大正時代に 耶馬渓を国指定名勝に導いた貴族員議員「平田吉胤氏」の邸宅であるとともに貴重な建築物
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中津藩道(日田往還)と平田家の蔵 街道側に搬入搬出口が設けられている
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大正14年(1925)竣工 旧平田郵便局 平田家の財力支援で建てられたとされる
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馬溪橋
江戸時代 戸原(とばる)村の代官道と平田村を通る中津藩道の往来は 雨期の夏は渡し舟を使い
乾燥期の秋冬春は 仮設的に船橋が架けられていた しかし船橋は山国川の増水のたびに流され 
その都度 両村住民の出役で修復されていた 大正3年(1914)この橋の下流側に下城井橋が架けられたが
大正11年4月の大洪水で流失した 現在地に石造アーチ橋の工事を始めたのは大正12年(1923)1月で
同年10月に竣工し 橋名を馬渓橋と変更して現在に至る
山国川に架かる石積アーチ式の橋の中で三大名橋のひとつに数えられ 貴重な橋となっている
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馬渓橋上から見る平田城址
平田城址から見る馬溪橋
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平田城址本丸跡
平田城址の石垣
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耶馬溪町平田の橋梁
耶馬溪町大字冠石野の橋梁
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中津市耶馬溪町平田 豊前国三十三観音霊場 第八番札所 岩洞山久福寺
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冠石野駅跡手前
冠石野駅跡
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サイクリングロード 線路跡は左上野道
素掘りの曽木トンネル 30.2m
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中津市本耶馬渓町曽木 羅漢寺駅跡
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駅前のタクシー会社
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