2011.05.05 鹿児島本線・門司港駅  所在地:福岡県北九州市門司区西海岸一丁目5-31

民営の九州鉄道の駅として明治24年(1891)4月1日に開業した 開業当時の位置は現在の駅から
150mほど東の門司区清滝2丁目4-8で現・門司港駅東駐車場辺りに建設された
大正3年(1914)1月に現在の2代目駅舎が完成し移転開業した ドイツ人技師ヘルマン・ルムシュッテルの
監修で建築された木造駅舎で ネオ・ルネッサンス様式と呼ばれる左右対称の外観デザインが特徴である
昭和63年(1988)駅舎としては全国で初めて 国の重要文化財に指定された
戦前は下関駅との間に関門連絡船が就航し 連絡船中継駅及び九州の全鉄道路線の始発駅として賑わったが
昭和17年(1942)7月に下関−大里駅間に関門鉄道トンネルが開通し 門司駅の名称は大里駅に移され
当駅は門司港駅へと改称された 以降は鉄道輸送の幹線から外れた存在となってしまった
駅構内には戦前から使用されている洗面所・手水鉢・上水道など様々な歴史的資産が存在する
現在は別用途に使用されているが 「一・二等客待合室」・「チッキ(手荷物)取扱所」・「貴賓室」
「関門連絡船通路跡」等も残されている 特に関門連絡船通路跡には旧日本軍の命令で設置された
渡航者用監視窓の跡も残っている これは当駅が国外航路の寄港地であったため
戦時下の不審者を発見する格好の場所と判断されていた証拠である
また門司港駅の南に隣接して旧国鉄北九州本社があったが JR九州福岡本社への統合に伴い
平成12年(2000)に北九州本社は閉鎖となった 現在は九州鉄道記念館となっている
平成7年(1995)3月にオープンした観光スポット「門司港レトロ」の中心的建造物として
重要文化財に指定されている駅舎とともに 近代産業遺産に登録認定されている
駅舎は2012年9月から本格的な保存修理工事を開始し 2019年3月にグランドオープンし公開されている
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1995年11月
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明治29年測図 縮尺:1/1万「門司」部分  1.九州鉄道初代門司駅 2.連絡船埠頭 3.現在の駅舎位置
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大正3年竣工時の写真

関門連絡船
山陽鉄道の子会社・山陽汽船商社が 明治31年に神戸−徳山駅間を運行する急行列車と接続させた連絡船を
徳山港から馬関港(下関港)を経て門司港までの運航を始めたのが始まりであった
明治24年に九州鉄道が門司駅まで鉄道路線を開通させていたため 本州−九州間の鉄道連絡航路となった
その後も山陽鉄道が路線の延伸を図り 20世紀初頭の明治34年(1901)5月27日に下関駅が開業した
同日 山陽鉄道株式会社が関門鉄道連絡航路を開設 下関丸・大瀬戸丸の2隻で運航を始めた
明治39年(1906)12月 山陽鉄道の国有化と共に関門鉄道連絡航路も国営となった

明治44年(1911)貨物輸送を請け負う宮本組によって 積載量7トンの貨車3両を直接積み込できる
艀(はしけ)による貨車の直接輸送が試みられた 艀は伝馬船に甲板と線路を付けた簡単な物であったが
山陽鉄道が保有するタグボートにより曳航され 貨物積み替え作業の必要が無くなる画期的な方法であった
同年10月から正式採用され輸送の効率化が図られた これが日本初の鉄道車両航送となった
貨車積み込み設備は 下関市側は竹崎に門司側は小森江に設けられ艀が接続する桟橋まで線路が敷設された
下関・門司港間の連絡航路は旅客・郵便・手小荷物のみが扱われるようになった

大正8年(1919)竹崎・小森江の両桟橋に積載用の可動橋を設置 貨車専用渡船の第一・第二関門丸が就航
大正11年(1922)には可動橋を増設して第三・第四関門丸が就航し 艀による輸送は全面廃止となった

昭和17年(1942)7月1日 関門鉄道トンネルが開通し同時に貨物列車の運行が開始された
連絡船による貨物輸送は廃止され 当時就航の貨車積載船5隻は全て宇高連絡(本州四国)航路に移された
同年11月15日のダイヤ改正によって関門鉄道トンネルでの旅客列車の運行も開始されたが
下関−門司間の短距離需要が大きく旅客連絡船は廃止はされず 減便対応での存続が決められた

昭和33年(1958)に関門国道トンネルが開通し 関門汽船・関門海峡汽船による渡船の利便性が向上して
連絡船による輸送人員が激減した 昭和36年(1961)には山陽・鹿児島の両本線が電化され
普通電車の運行を開始 また便数も増発もされて利便性が向上したことで 小型船1隻20往復に減便されたが
昭和39年(1964)10月31日 関門連絡船はついに廃止され 64年間の歴史にピリオドを打った

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昭和37年(1962)国土基本図 1.小森江貨物車専用桟橋 2.小森駅 3.小森江貨物操車場
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