翌年11月に犬飼線は玉来駅まで延伸 昭和3年(1928)に宮地線の坂ノ上トンネルが開通して
宮地駅−玉来間がつながり 宮地線・熊本−犬飼線・大分間が全通して豊肥本線となった
開設当時から豊後「たけだ」駅と濁音で呼ばれたが 地名が「たけた」と呼ばれているのに合わせ
昭和44年(1969)10月のダイヤ改正時に「ぶんごたけた」駅と呼称を改めている
昭和26年(1951)から 竹田町民寄贈のレコードを使い 改札を担当する駅員が列車の発着時に
竹田出身の作曲家・瀧廉太郎の歌曲「荒城の月」及び「菊」を流していた これは現在の発車メロディや
接近メロディにあたる 川端康成が昭和28年(1953)に発表した「波千鳥」の中で 竹田駅において
「荒城の月」の唱歌が流れることを触れている 当初は山田耕筰の編曲による曲であったが
昭和63年(1987)からは 瀧廉太郎の原曲に変更され 竹田市少年少女合唱団の歌唱曲となった
それより20年以上も前に レコードによる発車・近接メロディを豊後竹田駅では流していたことになる