肥薩線の歴史

肥薩線は鹿児島本線八代駅(熊本県八代市)と人吉駅(熊本県人吉市)を経由し
日豊本線隼人駅(鹿児島県霧島市)を結ぶ 延長:124.2km 途中駅:29 の鉄道である
明治42年(1909)から18年間は鹿児島本線として重要な路線であった
その後西海岸川内ルートの全線開通によりローカル鉄道となった
しかし熊本−宮崎間の最短ルートとしての需要もあり 戦後は門司−人吉間の「準急くまがわ」や
熊本−宮崎間の「えびの」出水−宮崎間の「からくに」熊本西−鹿児島間の「やたけ:」が運行され
各々の列車が後に急行へと格上げされた 昭和49年(1974)には博多−宮崎の「特急おおよど」が
投入されたが 押し寄せる「モータリゼーション」と航空輸送との競合により全て廃止となった
博多在住の頃 社内規定では平社員の出張は国鉄利用と定められ宮崎経への出張には
「特急おおよど」を利用した ハッキリ覚えているのは大畑ループあたりの「栗の花」の匂いである
「特急おおよど」に乗車の時なのか 鈍行列車に乗車した時なのかは定かではない

球磨川上流域の「人吉盆地」と加久藤カルデラにある「えびの市」の間にはカルデラ外輪山がそびえ
古来より難所のひとつに数えられている 明治42年に開通した鹿児島本線では矢岳越と言われ
ループ線1ヶ所 スイッチ・バック2ヶ所が設置された 特に大畑駅はループ線の中にあり
スイッチ・バックも併せ持つ日本唯一の駅となった
敢えて難所のある内陸部に鉄道を敷設した理由は国防上の理由からだといわれる
当時 軍事力の中心は艦船と歩兵であり 海岸部の鉄道敷設は艦砲射撃による攻撃を想定し排除された
日清(1894-1895)・日露(1904-1905)の戦争があったことも 要因のひとつであった

日本鉄道史を紐解けば 19世紀の明治5年(1872)東京・新橋−横浜の鉄道開業から
明治22年(1889)新橋−神戸 明治24年(1891)上野−青森
20世紀に入り 明治34年(1901)山陽鉄道による神戸−馬関(下関)の開通など 鉄路の延伸が続き
同年・関門鉄道連絡船が山陽鉄道により運行開始され 青森−熊本八代間が鉄路で結ばれた
明治39年には主要な幹線が国有化され 明治42年(1909)最後の難関であった矢岳越の開通により
青森−鹿児島が鉄路で結ばれたのである このことは国内兵力輸送の観点からも重大な国策と言えた
ただし18年後 民生需要において二次的に着工された川内ルートに 幹線の座を奪われることになった

● 九州鉄道(門司−八代)
明治22年(1889)12月九州初の鉄道が 民営の九州鉄道により博多−千歳川仮駅(筑後川北岸)間が開業された
明治29年(1896)11月門司(門司港駅)−八代駅間が全通した

● 鹿児島本線(門司−人吉−鹿児島)
明治34年(1901)6月官営鉄道鹿児島線 鹿児島−国分駅(隼人駅)間が開業
明治36年(1903)1月官営鉄道 国分(隼人駅)−横川駅 延伸開業 嘉例川・横川駅が開業
9月官営鉄道 横川−吉松駅 延伸開業 栗野・吉松駅が開業
明治37年(1904)2月日露戦争勃発 戦争により人吉−吉松間工事凍結
明治38年(1905)9月日露戦争終結 人吉−吉松間工事凍結解除
明治40年(1907)7月九州鉄道 買収により門司−八代駅間が官営鉄道・八代線となる
明治41年(1908)6月八代−人吉駅間開業 八代線を人吉線と改称 坂本・白石・一勝地・渡・人吉の各駅開業
明治42年(1909)10月人吉本線と改名
明治42年(1909)11月人吉−吉松間開業 矢岳駅・大畑停車場を開業 門司−鹿児島間全通鹿児島本線となる
12月大畑停車場 旅客貨物取り扱い開始 大畑駅となる
明治44年(1911)3月真幸停車場開設 5月から旅客貨物取り扱い開始 真幸駅となる
大正02年(1913)3月那良口駅 貨物駅から旅客貨物取り扱い駅に変更
大正05年(1916)9月表木山信号場新設 大正9年(1920)10月に表木山駅として開業
● 川内線(鹿児島−水俣)・肥薩線(八代−湯浦)
大正02年(1913)12月川内線の鹿児島駅−串木野駅間が開業
大正03年(1914)6月川内線 川内町駅(現:川内駅)まで延伸開業
大正11年(1922)10月川内線 阿久根駅まで延伸開業
大正12年(1923)7月肥薩線として 八代−日奈久駅間が開業
大正12年(1923)10月川内線 米の津駅まで延伸開業
大正13年(1924)10月宮之城線の開業により 川内線を川内本線に改称
大正14年(1925)4月肥薩線 佐敷駅まで延伸開業
大正15年(1926)7月川内線 水俣駅間まで延伸開業
大正15年(1926)9月肥薩線 湯浦駅まで延伸開業
昭和02年(1927)10月湯浦駅−水俣駅間開通 八代−川内−鹿児島間を鹿児島本線に編入
八代−人吉−鹿児島間は肥薩線となる 全線開通から僅か18年で幹線の座を譲る
昭和07年(1932)12月小倉−都城−隼人−鹿児島駅間が日豊本線になり 肥薩線の終点は隼人駅になる
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